マールバラ公

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マールバラ公の紋章

マールバラ公Duke of Marlborough)は、イギリス公爵位で、王国合同以前のイングランド王国において叙位されたイングランド貴族の公爵位の1つ。モールバラとも表記される。この爵位はイギリス軍事史上屈指の将軍の1人と見なされているジョン・チャーチルに授与されたことに始まるもので、歴史を扱う文献で単にマールバラ公と言及される場合は、しばしば初代公爵を指す。

出自[編集]

マールバラ公は1702年にイングランド女王アンによって創設された。初代公爵となったマールバラ伯ジョン・チャーチルは名誉革命前後の政変を乗り切ってジェームズ2世からは男爵に叙爵、ウィリアム3世の時に伯爵に昇っていた軍人で、妻サラ・ジェニングスがアン女王の親友という縁で女王の信任を受けた。

彼はこの年に始まるスペイン継承戦争においてイギリス軍最高司令官となり、フランドルおよびバイエルンで目覚ましい戦果をあげた。特に1704年にはブレンハイムの戦いフランス軍に大勝し、女王はこの功績を称えてロンドン近郊のウッドストックにあった王室の荘園を与え、女王の資金提供でマールバラ公の居宅となる宮殿を建設させた。1705年に建設が開始された宮殿は、1711年にマールバラ公が女王の信任を失って失脚した後も公の私財によって建設が続けられ、その死後の1725年になってようやく完成した。この宮殿はブレンハイムの英語読みにちなんでブレナム宮殿と呼ばれ、歴代のマールバラ公に伝えられて現在では世界遺産(文化遺産)に登録されている。

初代マールバラ公は男子を早くに失ったので、議会によって女系によっても爵位を相続させるよう爵位の継承条件を変更する特別の条令が定められ、長女のヘンリエッタ・チャーチルが2代公爵となった。ヘンリエッタの次の継承権は妹のアン・チャーチルにあり、アンは3代サンダーランド伯チャールズ・スペンサーと結婚していたため、アンとサンダーランド伯の長男チャールズ・スペンサーがサンダーランド伯の爵位に加えてマールバラ公の爵位を継承し3代公爵となった。

これよりマールバラ公家の姓はスペンサーとなるが、チャールズの息子の4代マールバラ公ジョージ・スペンサーは、初代公爵にちなんでスペンサー=チャーチルに改姓した。以来彼の子孫はスペンサー=チャーチル家は複合姓を名乗っているが、しばしばこの家の人々は姓をチャーチルと略して名乗っている。第二次世界大戦期のイギリスの首相ウィンストン・チャーチルは第7代マールバラ公ジョンの次男で大蔵大臣・インド担当大臣を歴任したランドルフ卿の長男であるため、マールバラ公スペンサー=チャーチル家の分家にあたる。また、3代公の甥のジョン・スペンサーは政治家として台頭しスペンサー伯爵に叙爵、この家系からはプリンセス・オブ・ウェールズだったダイアナが出た。

現在、マールバラ公爵位に付属して継承される爵位はブランドフォード侯爵(1702年創設)、サンダーランド伯爵(1643年創設)、マールバラ伯爵(1689年創設)、スペンサー男爵(1603年創設)、チャーチル男爵(1685年創設)。このうち、サンダーランド伯爵とスペンサー男爵はスペンサー家に由来する。初代公はスコットランドの爵位であるチャーチル卿(1682年創設)も保有していたが、初代公の死で断絶している。イギリスの慣例により、その時点のマールバラ公爵の第一継承者である公の長男はブランドフォード侯、その継承者である長男の長男はサンダーランド伯を儀礼上の称号として名乗る。

エピソード[編集]

貴族に序せられた後、新参のマールバラ公をからかおうと他の貴族から「君は誰の子孫なのか、教えてもらえるかな?」と問われた時、彼はこう答えたと言われている。 「私は子孫ではない。祖先となるのです」

マールバラ公の一覧[編集]

マールバラ伯第1期(1626年)[編集]

マールバラ伯第2期(1689年)[編集]

マールバラ公(1702年 - )[編集]

関連項目[編集]