マーク・ヒューズ (ウェールズ人サッカー選手)
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| 名前 | ||||||
| 本名 | レズリー・マーク・ヒューズ Laslie Mark Hughes |
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| 愛称 | スパーキー | |||||
| ラテン文字 | Mark Hughes | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1963年11月1日(49歳) | |||||
| 出身地 | レクサム | |||||
| 身長 | 178cm | |||||
| 体重 | 75kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1980-1986 1986-1987 1987-1988 1988-1995 1995-1998 1998-2000 2000 2000-2002 |
89 (37) 28 (4) 18 (6) 256 (82) 95 (25) 52 (2) 18 (1) 50 (6) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1984-1999 | 72 (16) | |||||
| 監督歴 | ||||||
| 1999-2004 2004-2008 2008-2009 2010-2011 2012.1-2012.11 2013- |
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レズリー・マーク・ヒューズ OBE(Leslie Mark Hughes OBE, 1963年11月1日 - )はウェールズ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。
屈強な体を生かした巧みなポストプレー、豪快なシュートが特徴でサポーターからスパーキーの愛称で親しまれた[1] 。1992-93シーズンに長い間低迷を続けたマンチェスター・ユナイテッドを26年ぶりのリーグ制覇に導いた立役者の一人である[1]。
目次 |
選手経歴[編集]
ヒューズはマンチェスター・ユナイテッドの下部組織で育ち、1983年にトップチームと契約を結んだ。1983-84シーズンには16得点をあげる活躍でPFA年間最優秀若手選手賞を受賞、翌1984-85シーズンにはFAカップ優勝に貢献した。 1986年からはエヴァートンFC所属のゲーリー・リネカーと共にスペインのFCバルセロナへ移籍するが結果を残せず、翌1987年にドイツのバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍に出された。
1988年に古巣のマンチェスター・ユナイテッドへ復帰を果たすと、アレックス・ファーガソン監督の下で本来のプレーを取り戻し1990-91シーズンにUEFAカップウィナーズカップ優勝に貢献し、PFA年間最優秀選手賞を受賞。プレミアリーグ創設最初のシーズンとなった1992-93シーズンにはフランスのエリック・カントナとのコンビで攻撃陣を牽引し[1]、26年ぶりのリーグ優勝に貢献、翌1993-94シーズンはリーグとFAカップの二冠に貢献した。
1995年にチェルシーFCへ移籍。チェルシーではジャンフランコ・ゾラらと共に1997年にFAカップ、1998年にUEFAカップウイナーズカップ優勝に貢献した。その後はサウサンプトン、エヴァートン、ブラックバーン・ローヴァーズを渡り歩き2002年に現役を引退した。
ウェールズ代表としては1984年から1999年の間に国際Aマッチ72試合に出場し16得点を記録し、1999年からは代表監督も兼任して務めたが、FIFAワールドカップやUEFA欧州選手権などの国際大会への出場は叶わなかった。
監督経歴[編集]
ウェールズ代表[編集]
2002年に引退後は、ひき続きウェールズ代表監督を務め、UEFA欧州選手権2004予選では、同年10月22日に敵地のナポリで行われたイタリア戦において強豪を相手に2-1で下すなどの手腕を発揮し、最終的にグループ2位でプレーオフ進出へと導いた。しかし2003年11月に行われたプレーオフでは2試合合計0-1のスコアでロシアに競り負け本大会への出場は成らなかった。
次ぐFIFAワールドカップ・ドイツ大会予選においても引き続き指揮を執ったが、第1戦のアゼルバイジャン戦、第2戦の北アイルランド戦を共に引分けると2004年9月に監督を辞任し、古巣のブラックバーン・ローヴァーズの監督に就任した[2]。
ブラックバーン[編集]
2004年9月に前任のグレアム・スーネス監督がボビー・ロブソン監督を解任したニューカッスル・ユナイテッドFCの後任監督に就任するために辞任したことを受けて、シーズン途中がらブラックバーンの監督に就任した。フォーメーションは4-4-2を採用してデビッド・ベントリーやモアテン・ガムスト・ペデルセンによるサイド攻撃を活かす半面、中盤のボランチに運動量を求めて攻守のリズムを生みだした。
1年目の2004-05シーズンに強固なディフェンスを植え付けて下地を作るとFAカップで40年ぶりに準決勝進出[3]、2005-06シーズンには攻撃面を強化して6位で。UEFAカップ出場権を得た。2006-07シーズンにはクレイグ・ベラミー、ポール・ディコフらが退団したが、代わりに南アフリカ代表ベネディクト・マッカーシーやシャバニ・ノンダらを獲得。同シーズンはUEFAカップとの日程の兼ね合いに苦労し、リーグ戦は10位という結果に終わったがFA杯ではベスト4に進出した。また、マッカーシーが18得点をあげ得点ランク2位となるなど前述の退団者の穴を埋める以上の活躍を見せた。ヒューズ自身も2007年10月にはプレミアリーグ月間最優秀監督賞を受賞した[4] 。
2007-08シーズンはバイエルン・ミュンヘンからパラグアイ代表FWロケ・サンタクルスが加入。ヒューズはサイド攻撃を強化させ「ヨーロッパ・カップに出場する常連クラブを目指す」という目標を掲げた。このシーズンには移籍初年度のサンタクルスが19得点(得点ランク4位)、マッカーシーが8得点と攻撃陣を牽引しリーグ戦で7位となり再びUEFAカップ出場権を獲得した。
2008年6月、マンチェスター・シティFCがヒューズ獲得に動き、契約途中であったため違約金をブラックバーンに支払う形で退団が決定した。ブラックバーンでは約4シーズン指揮を執り安定した成績をもたらした[5]。なお、ヒューズの後任にはマンチェスター・ユナイテッド時代の同僚であるポール・インスがプレミアリーグ初となる黒人監督として就任した[5]。
マンチェスター・シティ[編集]
2008年6月2日、スヴェン・ゴラン・エリクソンの後任として、マンチェスター・シティFCの監督に就任した[6]。マンチェスター・シティでの1シーズン目は10位に終わるものの、2シーズン目となった2009-10シーズンは大型補強もありアーセナル、チェルシーに勝利。第17節の時点でリーグ最少の2敗に留めるなど好調を維持したが、7試合連続の引き分けもあり、サンダーランド戦の試合ハーフタイムに解任を告げられた[7]。この解任について選手時代にヒューズを指導したアレックス・ファーガソンは
このような行為は受け入れられない。20試合くらい負けていたのであれば構わないがヒューズの場合はわずか2試合だ。物事にはやり方というものがある。
— ヒューズの解任について, アレックス・ファーガソン
とマンチェスター・シティ側の対応を批判した[8]。
フラム[編集]
2010年7月29日、リバプールFCの監督に就任したロイ・ホジソンの後任としてフラムFCの監督に就任した[9]。契約期間は2年。2010-11シーズンを8位(11勝16分11敗)の成績で終え、シーズンを通じて退場者を1名出したのみだったことからUEFAフェアプレーランキングで2位となり、同ランキング1位のチェルシーFCがUEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得していたこともあり、UEFAヨーロッパリーグ予選の出場権を獲得した[10]が、2011年6月2日に同月末で監督を退任する意向を表明した[11]。
クイーンズ・パーク・レンジャーズ[編集]
2012年1月より、クイーンズ・パーク・レンジャーズFC監督に就任したが、11月に成績不振のため解任された[12]。
ストーク[編集]
2013年5月30日、ストーク・シティFC監督に就任[13]。
監督成績[編集]
| クラブ | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝ち | 分け | 負け | 勝率 % | |||||
| ウェールズ代表 | 1999年9月 | 2004年9月 | 41 | 12 | 15 | 14 | 29.27 | ||
| ブラックバーン・ローヴァーズFC | 2004年9月15日 | 2008年6月3日 | 188 | 82 | 47 | 59 | 43.62 | ||
| マンチェスター・シティFC | 2008年6月4日 | 2009年12月19日 | 77 | 36 | 15 | 26 | 46.75 | ||
| フラムFC | 2010年7月29日 | 2011年6月2日 | 43 | 14 | 16 | 13 | 32.56 | ||
| クイーンズ・パーク・レンジャーズFC | 2012年1月10日 | 2012年11月23日 | 34 | 8 | 6 | 20 | 23.53 | ||
| 合計 | 382 | 151 | 99 | 132 | 39.53 | ||||
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- マンチェスター・ユナイテッド
- FAプレミアリーグ 2回 (1992-93, 1993-94)
- FAカップ 3回 (1984-85, 1989-90, 1993-94)
- FAリーグカップ 1回 (1991-92)
- FAチャリティーシールド 2回 (1993, 94)
- UEFAカップウイナーズカップ 1回 (1991-92)
- チェルシー
- FAカップ 1回 (1996-97)
- FAリーグカップ 1回 (1997-98)
- UEFAカップウイナーズカップ 1回 (1997-98)
- ブラックバーン・ローヴァーズ
- FAリーグカップ 1回 (2001-02)
個人[編集]
- PFA年間最優秀選手賞 2回 (1989, 1991)
- PFA年間最優秀若手選手賞 1回 (1984)
- 大英勲章(1997年)
脚注[編集]
- ^ a b c “レジェンド : マーク ヒューズ”. マンチェスター・ユナイテッド 公式ホームページ 2011年4月18日閲覧。
- ^ “ヒューズ監督、ブラックバーンへ”. UEFA.com. (2004年9月15日) 2011年4月18日閲覧。
- ^ (英語)“Arsenal 3-0 Blackburn”. BBC. (2006年4月16日) 2008年12月4日閲覧。
- ^ (英語)“Hughes wins manager of month award”. Lancashire Telegraph (2007年11月10日). 2008年12月4日閲覧。
- ^ a b “ブラックバーンの新監督が達成した「歴史的偉業」。”. Number Web. (2008年8月6日) 2011年4月18日閲覧。
- ^ “マーク・ヒューズ新監督 「シティはユナイテッドへの足がかりではない」”. AFPBB News. (2008年6月6日) 2011年4月18日閲覧。
- ^ “マンチェスター・シティがヒューズ監督を解任、後任にマンチーニ氏”. AFPBB News. (2009年12月20日) 2011年4月18日閲覧。
- ^ “ファーガソン監督 ヒューズ氏を解任したマンチェスター・シティを批判”. AFPBB News. (2009年12月25日) 2011年4月18日閲覧。
- ^ “フラムの新監督にヒューズ氏”. UEFA.com. (2010年7月29日) 2011年4月18日閲覧。
- ^ (英語)“Fulham handed Europa League place”. the Barclays Premier League (2011年5月26日). 2011年6月2日閲覧。
- ^ “フラムのヒューズ監督が辞任”. UEFA.com. (2011年6月2日). 2011年6月2日閲覧。
- ^ “プレミア最下位QPR、ヒューズ解任を発表”. Goal.com (2012年11月23日). 2012年11月24日閲覧。
- ^ “ストーク、ヒューズ新監督の就任を発表”. Goal.com (2013年5月30日). 2013年5月30日閲覧。
外部リンク[編集]
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