マーク・ハットフィールド
マーク・オダム・ハットフィールド(Mark Odom Hatfield, 1922年7月12日 - 2011年8月7日)は、アメリカ合衆国の政治家。オレゴン州州務長官(1957年 - 1959年)、オレゴン州知事(1959年 - 1967年)。連邦上院議員(オレゴン州選出、1967年 - 1997年)。所属政党は共和党。
目次 |
人物 [編集]
オレゴン州ダラスに生まれる。1943年にウィラメット大学を卒業する。卒業後、海軍士官として第二次世界大戦に従軍、主に太平洋戦線に参加し、硫黄島、沖縄での戦闘にも参戦している。
帰還後、スタンフォード大学大学院で政治学を専攻し、1948年政治学修士号を取得。その後はウィラメット大学で助教授(政治学)を務める。
1950年、大学で政治学を教える一方でオレゴン州下院議員に立候補し、当選する。以後、1955年にオレゴン州上院議員に転身するまで州下院議員。1956年にオレゴン州州務長官に当選し、1957年から1959年まで州務長官にとどまる。州務長官就任に伴いウィラメット大学助教授は辞任する。1958年、オレゴン州知事に当選、1962年に再選され、オレゴン州では20世紀で初めて二期務めた知事となる。
1966年、知事としての3選を目指さず、上院議員選挙に立候補し、当選。以降5期連続当選を果たす。
ハットフィールドは平和主義者で、共和党穏健派の中でも異色の議員として知られた。敬虔なキリスト教徒であった彼は、上院での反戦活動で知られた。ハットフィールドはジョージ・マクガヴァン、ユージーン・マッカーシーらと共に議会でのヴェトナム反戦活動の先頭に立った。その後も、湾岸戦争に反対するなど、安全保障問題でその異色ぶりは際立っていた。加えて、核軍縮運動に熱心な議員としても知られ、1982年にはエドワード・ケネディ上院議員との共著で核凍結を訴えた。また、中国のチベット支配に反対し、ダライ・ラマ14世がオレゴン州ポートランドで演説した際の紹介役を務めた。
一方で、妊娠中絶などの社会問題では保守的な姿勢を見せた。上院では予算(歳出)委員長(1981年 - 1987年、1995年 - 1997年)などを歴任、環境保護に熱心なことでも知られた。
1996年の上院議員選には立候補せず、政界を引退した。彼は選挙で一度も落選したことの無い政治家であった。
反戦姿勢で知られたハットフィールドだが、テロとの戦いを強く支持し、2004年の大統領選挙ではジョージ・W・ブッシュ大統領への熱烈な支持を表明した。
在任中は日米間の経済交流に尽くし、2003年に日本政府から勲一等瑞宝章を受けた。
引退後 [編集]
政界を引退したハットフィールドは、ポートランド州立大学で教授を務めた。そして彼にちなんでポートランド州立大学、オレゴン州立大学にはハットフィールド研究所が創設されている。
2011年8月7日、病気のため死去[1]。89歳没。
脚注 [編集]
- ^ Mark O. Hatfield, former Oregon governor and senator, died tonight Oregon Live August 07, 2011
外部リンク [編集]
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: アール・ニューブリー |
オレゴン州州務長官 1957年1月7日 - 1959年1月12日 |
次代: ハウエル・アップリング |
| 先代: ロバート・ホームズ |
オレゴン州知事 1959年 - 1967年 |
次代: トマス・マッコール |
