マンハッタン市営ビル

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マンハッタン市営ビル
所在地: アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区センター通り1号
座標: 北緯40度42分46.67秒 西経74度0分13.99秒 / 北緯40.7129639度 西経74.0038861度 / 40.7129639; -74.0038861座標: 北緯40度42分46.67秒 西経74度0分13.99秒 / 北緯40.7129639度 西経74.0038861度 / 40.7129639; -74.0038861
建設: 1907 - 1914[2][3]
建築家: ウィリアム・M・ケンダル
建築様式: ルネサンス他
運営者: 地方
NRHP登録番号: 72000879 [1]
指定・解除日
NRHP指定日: 1972年10月18日
NYCL指定日: 1966年2月1日

マンハッタン市営ビル英語:Manhattan Municipal Building)は、ニューヨーク市マンハッタンセンター通り1号に位置するビルである。40階建てのビルで、1898年に周辺自治体と合併したニューヨーク市政府の組織が巨大化して足りなくなったオフィススペースを補うため、建設された。1907年に建設が始まり、ニューヨークの都市美運動の最後として1914年に完成した[2][3]。有名な建築事務所であるマッキム・ミード・アンド・ホワイトウィリアム・M・ケンダルが設計している[2]。建物は、他のアメリカの都市の建築物にも大きな影響を与えている。ボザール様式は、クリーブランドトランプ・タワーシカゴリグレー・ビルディング、スターリン時代のソ連のセブン・シスターズの建築の見本となっている。

建物は、チャンバース通りセンター通りの交差点に位置している。ニューヨーク市地下鉄の駅と接続しており、周囲はシヴィック・センターと呼ばれる。高さは580フィート(177メートル)で、世界最大の公共建築の1つ。ビルには、ニューヨーク市の13の機関が入っている。また、2009年に結婚紹介所がセンター通り80号にある別の建物に移転する[4][5]まで、毎年1万8,000人[6]が結婚していた。

建物は、1966年にニューヨーク市歴史建造物に選ばれ[3]、1972年にはアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。

1912年に建設中のビル
コリン・キャンベル・クーパーの描いた「チャンバース・ストリートと市営ビル」(1922年)

歴史[編集]

1884年に、ニューヨーク市の年次報告で、ニューヨーク市長フランクリン・エドソンは、より多くの職場が政府に必要であることを発表した。しかし、彼は、古くからのニューヨーク市庁舎(シティ・ホール)を拡張することは、外観を損なうので、不可能であるとも述べた。

そのため、市の機関が増加するにつれ、ダウンタウンやミッドタウンなどのいろいろな建物の中のスペースが使われるようになった。ビルのオーナーに賃料を払うのをなるべく避けることを望む政府は、1つの建物にいくつもの機関を収容できる新しい建物の設計競技を開催した。アブラム・ヒューイット市長は、1888年に、建設用地を検討する委員会を設立した。当時4つの案が提案されており、この競技が1888年から1907年まで続いた。用地の最終的な競技は、橋の理事たちによって開催された。彼は、ブルックリン橋のマンハッタン側の拠点となるトロリー・ハブの土地を既に所有していた。設計競技は、最後に12の建築事務所が残っていた。採用されたのは、ウィリアム・ミッチェル・ケンダルとマッキム・ミード・アンド・ホワイトの若いパートナーだった[6]。彼らは、ジョージ・B・マクレラン市長からコンテストに出場するよう促されていた[6]。マッキム・ミードは、そのとき100人以上のスタッフを持つ世界最大級の建築事務所であった。マンハッタン市営ビルの設計は、事務所にとって初の超高層ビルだった。

1913年1月には、最初の従事を果たした。大多数のオフィスは1916年までに一般公開された。現在のビルは、床面積100万平方フィート(90,000㎡)で、2,000人が働く13の機関を収容している。

建築[編集]

頂点にたつ「市民の栄誉の像」
南のアーケードのグアスタヴィーノ・タイル
コンスタンティヌスの凱旋門と似た中央のアーチ

ビル内では様々な彫刻やレリーフが使われている。ビルの中央のアーチは、コンスタンティヌスの凱旋門に似ており、建物もローマ建築のようなつくりである。現在のチャンバース・ストリートは、短くなっていて、東側に通り抜けできないが、昔はアーチの下を自動車が通り抜けることができた。円柱のコンクリートのスクリーンは、アーチの側面を補強している[3]

テラコッタヴォールトは、イタリア・ローマのファルネーゼ宮殿入口がモデルとなっている。また、南のアーケードの天井は、白いグアスタヴィーノ・タイルでできている[3]

建物のファサードは、1990年にワンク・アダムス・スラヴィンが復元している[2]

尖塔[編集]

1913年3月に取り付けられたビルの上に建つ「市民の栄誉の像」は、アドルフ・A・ウェインマンが制作した金めっきの像である。像は高さ25フィート(8メートル)で、マンハッタンで2番目に大きい。中心部のくぼんだ銅のシートのウェインマンのモデルからつくられ、その点は自由の女神像と似ている。像は、球体の上に裸足で建っており、栄誉を示すため、なだらかな服を着用し、王冠をかぶっている。彼女の左手には、ニューヨーク市の5つの行政区(マンハッタン、ブルックリン、ブロンクス、クイーンズ、スタテンアイランド)を表す5つに分かれた城壁冠を持っている。また、右手には勝利を表す盾を持つ。5つの丸屋根も、市の5つの行政区を表す。

オードリー・マンソン(1891 - 1996)は、ダニエル・チェスター・フレンチのモデルで、像のモデルともなった[7][8]アレクサンダー・ハミルトン税関の前にもたっている。また、彼女は恐らく、ペンシルヴァニア駅前の「Day」と「Night」の彫刻のモデルでもある。

ウェインマンはさらに、ビルの土台にあるパネルの寓話の彫刻もしている[3][7]

背後にあるサーグッド・マーシャル裁判所から撮影。

ビル内の機関[編集]

マンハッタン市営ビル内にあるニューヨーク市の公共機関には、次のようなものがある。

主な文化[編集]

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ “National Register Information System”, National Register of Historic Places (National Park Service), (2006-03-15), http://nrhp.focus.nps.gov/natreg/docs/All_Data.html 
  2. ^ a b c d White, Norval & Willensky, Elliot (2000), AIA Guide to New York City (第4 ed.), New York: Three Rivers Press, ISBN 0812931076 , p.71
  3. ^ a b c d e f New York City Landmarks Preservation Commission; Postal, Matthew A. (ed. and text); Dolkart, Andrew S. (text). Guide to New York City Landmarks (4th ed.) New York:John Wiley and Sons, 2009. ISBN 978-0-470-28963-1, p.33
  4. ^ Chung, Jen (2008年10月5日). “Manhattan Marriage Bureau Gets Ready to Move”. Gothamist. http://gothamist.com/2008/10/05/manhattan_marriage_bureau_gets_read.php 2010年8月7日閲覧。 
  5. ^ Del Signore, John (2009年1月8日). “Manhattan Marriage Bureau Gets Makeover”. Gothamist. http://gothamist.com/2009/01/08/manhattan_marriage_bureau_gets_make.php 2009年6月9日閲覧。 
  6. ^ a b c Willis, Carol. "Municipal Building" in Jackson, Kenneth T.英語版 (ed.), The Encyclopedia of New York City (2nd edition). New Haven: Yale University Press, 2010. ISBN 978-0-300-11465-2, p. 863-864
  7. ^ a b "Civic Fame"
  8. ^ "The Big Apple: Audrey Munson"

外部リンク[編集]

先代:
ハドソン・ターミナル
世界最大のオフィス
(床面積)
1913-1915

次代:
エクイタブル・ビル (マンハッタン)