マル・ウォルドロン
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| マル・ウォルドロン | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | Malcolm Earl Waldron |
| 出生 | 1926年8月16日 |
| 死没 | 2002年12月2日 |
| ジャンル | ジャズ, ハード・バップ, ソウル・ジャズ |
| 職業 | ピアニスト、作曲家 |
| 担当楽器 | ピアノ |
| レーベル | プレスティッジ |
マル・ウォルドロン(Mal Waldron 1926年8月16日-2002年12月2日)は、アメリカニューヨーク州ニューヨーク市出身のジャズピアニストで作曲家。ハード・バップ、ソウル・ジャズの奏者として知られる。2002年12月2日ベルギーのブリュッセルで死去。76歳。
目次 |
[編集] 概要
- 1950年代初頭からアイク・ケベックやチャールス・ミンガスと共演。プレスティッジ・レコードのハウス・ピアニストとして多くのセッションに起用される。
- 1954年~1956年にかけてチャールス・ミンガスのピアニストして活躍、アルバム『直立猿人』にも参加。
- 1957年からビリー・ホリデイの伴奏者となり、1959年に彼女が他界するまでその役を務めた。1960年、ビリーへの哀悼の意を込めたアルバム『レフト・アローン』制作。ビリーが作詞、マルが作曲した「レフト・アローン」は、スタンダード・ナンバーとなった。
- 1961年~1962年には、エリック・ドルフィー、ブッカー・リトルのコンボに参加し、ファイブ・スポットでの歴史的なライブ録音を残した。
- 1965年に渡欧し、ヨーロッパ、日本を中心に演奏活動を行ない、特に日本での人気が高く、国内制作のアルバムも残している。
- 1966年にはイタリアに定住、その後ドイツをはじめとしたヨーロッパを中心に活動を続ける。
- 1980年代に写真家の彩紋洋実と再婚し、同時期にベルギーのブリュッセルへ移住した。
- 妻のヒロミ・ウォルドロンは、日本国内において「彩紋洋実」名義で、写真家として活動していた。
- 母親の影響もあり、長女のマリアン・ウォルドロンは、ヌードモデルとして活動していた。
[編集] アルバム(セレクト)
- Mal 1(1956年)
- Mal 2(1957年)
- Mal 3(1958年)
- Mal 4(1958年)
- Left Alone (1960年)
- All Alone (1966年)
- Free at Last (1969年)
[編集] DVD/VIDEO
- マル・ウォルドロン&ジャッキー・マクリーン/レフト・アローン'86:1989/07/25
- マル・ウォルドロン・クィンテット/ライヴ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード:1988/01/25
[編集] その他の活動
- 「MS.MS.MK.(ミズミズメック)」マル・ウォルドロンの家族をメンバーとしたグループ。
- マリアン・ウォルドロン(1984年・東京都生まれ)
- マルコム・ウォルドロン(1986年・ベルギー生まれ)
- マイケル・ウォルドロン(1991年・ベルギー生まれ)
- サラ・ウォルドロン(1991年・ベルギー生まれ)
- ヒロミ・ウォルドロン(サポートメンバー・母親)
- マル・ウォルドロン(サポートメンバー・父親)
※1998年に来日し、「ちゅーりっぷコンサート」と題したコンサート活動を日本全国で行った。

