マルパッセダム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

座標: 北緯43度30分43.48秒 東経6度45分23.40秒 / 北緯43.5120778度 東経6.7565000度 / 43.5120778; 6.7565000

現在もダムの本体は、決壊当時のまま保存されている(2006年に下流から撮影)

マルパッセダム(Malpasset Dam)は、フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴァール県を流れるレイラン川に造られたダム。フレジュスの北7kmの地点にあった。1959年に決壊したことで知られる。

概要[編集]

高さ66.5m、堤頂長222m、貯水容量5,000万m3水道用水、灌漑用水の取水を目的としたアーチ式コンクリートダムアンドレ・コインの設計[1]1952年に建設開始し、1954年に完成。

決壊事故[編集]

1959年12月2日、堤体が完成してから初めて大雨により満水状態になって16時間後の21時13分、左岸の基礎地盤が下流側へ移動して崩壊、ダムが決壊した。高さ40m、時速70kmに達した流水は下流の2つの村(マルパッセとボゾン)を飲み込み、フレジュスを経て海へ到達。死者421名(500名以上の説あり)という大災害となった。被害総額は6800万ドルに上った。

決壊の原因と教訓[編集]

アーチ式ダムは、ダムをアーチ状に上流側へたわませることで、水圧を袖部へ受け流し、両岸の岩盤に伝えて構造が維持するものである(詳細は、アーチ式ダムの項を参照)。しかしながら、マルパッセダムでは岩盤の強度を過大評価した(評価手法が十分に確立されていなかった)ために、急激な水量増加に耐え切れず岩盤が崩壊、次いで堤体も崩壊に至ったものである。

ダムの決壊後、岩盤工学やダムの設計に必要な構造力学が飛躍的に進歩、そのきっかけとなった事件として現在も引き合いに出されることが多い。フランスは、マルパッセダムを工学的な教訓として残すべく、現地を崩壊当時のまま保存している。

この事故を受け、工事中であった黒部ダムの設計変更がなされた。

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 産業懇談会ホームページ(ダムの事故)

参考文献[編集]

  • 河川工学(東京大学出版会、著:高橋裕)

外部リンク[編集]