マルグリット・ド・ブルゴーニュ (フランス王妃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
マルグリット・ド・ブルゴーニュ

マルグリット・ド・ブルゴーニュ(Marguerite de Bourgogne, 1290年 - 1315年8月15日)は、フランス王ルイ10世の王妃。カペー家分家ブルゴーニュ家ブルゴーニュ公ロベール2世とフランス王女アニェス(ルイ9世と王妃マルグリットの娘)の娘。妹にフィリップ6世の王妃となったジャンヌがいる。また、同名の従姉シチリアカルロ1世(シャルル・ダンジュー)の2番目の王妃となっている。

1305年、従兄で当時ナバラ王となっていたルイと結婚した。1314年には2人はフランス王および王妃にもなった。

1312年頃から、セーヌ河畔の通称「ネールの塔」で、夫の不在時に学生や騎士たちを連れ込み、不貞をはたらくようになった。夫の兄弟の妻たち、ジャンヌブランシュの姉妹も誘って浮気を楽しんだ。夫も宮廷もこの大胆な行為に長く気づかなかったが、1314年にルイの妹、エドワード2世イザベルイングランドから一時帰国したことから、事態が変わった。

当時、夫エドワードの同性愛と不実に不幸な結婚生活を送っていたイザベルは、自分の反エドワードの活動を支援するよう頼むために帰国していたが、義理の姉妹たちが宮廷を抜けてどこかへ出かけていくのを敏感にかぎつけた。

イザベルの密告により不貞の顛末が明らかになると、ことは宮廷を揺るがす大醜聞となった。マルグリットはガイヤール城へすぐさま幽閉された。事件のショックでフィリップ4世が亡くなり、夫がルイ10世として即位するものの、彼女はそのまま幽閉された。

ルイとマルグリットには1311年生まれの一女ジャンヌがいたが、彼女が嫡出かどうかが強く疑われた。この疑惑はジャンヌに生涯つきまとった。ジャンヌは少なくともルイ9世の血を引くことは確かではあったが、サリカ法を根拠にフランス王位継承者からははずされ、ナバラ王位のみを継承した。

1315年、マルグリットは幽閉先で死去した。20代半ばでの死であり、夫によって毒殺されたと噂された。