マリー=アデライド (ルクセンブルク大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
マリー=アデライド
Marie-Adélaïde
ルクセンブルク女大公
Marie-Adélaïde, Grand Duchess of Luxembourg 2.jpg
マリー=アデライド
在位 1912年2月25日 - 1919年1月14日
全名 Marie-Adélaïde Thérèse Hilda Antonia Wilhelmine
マリー=アデライド・テレーズ・イルダ・アントニア・ウィユエルミーヌ
出生 1894年6月14日
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルクコルマー=ベルグベルグ城
死去 1924年1月24日(満29歳没)
ドイツの旗 ドイツ国バイエルン州レングリースホーヘンブルク城
埋葬 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルクルクセンブルクノートルダム大聖堂
王家 ナッソー=ヴェイユブール家
父親 ギヨーム4世
母親 マリー=アンヌ・ド・ポルテュガル
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

マリー=アデライドMarie-Adélaïde1894年6月14日 - 1924年1月24日)は、ルクセンブルク大公(在位:1912年 - 1919年)。大公ギヨーム4世の長女。

生涯[編集]

ルクセンブルクではそれまで女子の継承が認められていなかったが、ギヨーム4世の6人の子は全員女子であり、傍系の男子も生存していなかった。そのため1907年に継承法が改正されて、マリー=アデライドが大公位継承者とされ、ギヨーム4世の死去により1912年に即位した。第一次世界大戦中、ルクセンブルクはドイツ軍の占領下に置かれた。その際にマリー=アデライドは国外に退去しなかったため、占領軍への協力を余儀なくされた。このことは彼女が後に国民の反感を買う原因となった。1919年、共和制を望む左翼の暴動のために退位し、代わって妹のシャルロットが即位した。

退位後はモデナカルメル会修道院に入って修道女となった。1924年、ホーヘンブルク城でインフルエンザのため死去した。