マリー・フォン・プロイセン (1855-1888)
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マリー・フォン・プロイセン(Marie von Preußen, 1855年9月14日 - 1888年6月20日)は、プロイセン王子フリードリヒ・カールの長女。全名はマリー・エリーザベト・ルイーゼ・フリーデリケ(Marie Elisabeth Luise Friederike)。
マリーは1855年9月14日、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の三男カールの長男フリードリヒ・カールと、その妃であったアンハルト公レオポルト4世の娘マリア・アンナ(1837年 - 1906年)の間に第一子としてポツダムの大理石宮殿で生まれた。
1878年8月24日、マリーはオランダ王ヴィレム2世の三男ヘンドリックとポツダムの新宮殿で結婚した。しかし結婚からわずか5ヵ月後の翌年1月にヘンドリックとは死別した。彼との間に子供はいない。
続いて彼女は1885年5月6日にザクセン=アルテンブルク公フリードリヒの七男エドゥアルトの三男アルベルトとベルリンにて再婚した。彼との間には二女をもうけた。
マリーは1888年6月20日、ドレスデンのアルプレヒツベルク城で死去した。夫のアルベルトは1891年にヘレーネ・ツー・メクレンブルクと再婚した。
子女 [編集]
2番目の夫であるアルブレヒトとの間にもうけた2女は以下のとおり。
- オルガ・エリーザベト・カロラ・ヴィクトリア・マリア・アンナ・アグネス・アントニエッテ (1886年 - 1955年、ピュックラー=ブルクハウス伯爵カール・フリードリヒ夫人)
- マリー(1888年 - 1947年、ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ35世妃)