マリーア・カロリーナ・ディ・サヴォイア

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マリーア・カロリーナ、1781年

マリーア・カロリーナ・アントニエッタ・アデライーダ・ディ・サヴォイアMaria Carolina Antonietta Adelaide di Savoia, 1764年1月17日 トリノ王宮、トリノ - 1782年12月28日 ドレスデン)は、イタリアサヴォイア家の王女で、ザクセンアントンの最初の妻。夫の即位する45年前に死去したため、王妃ではない。

サルデーニャヴィットーリオ・アメデーオ3世とその妻でスペインフェリペ5世の娘であるマリーア・アントニエッタの間の第10子、六女として生まれた。ザクセン公子アントンとの結婚が決まり、1781年9月28日にストゥピニージ宮殿において代理結婚式が、同年10月24日にドレスデンで正式な結婚式が執り行われた。王女の結婚に際し、トリノでは王宮やパラッツォ・ゴンティエーリで盛大な祝宴が開かれた[1]。しかしこの結婚に乗り気でなかったマリーア・カロリーナは婚家になじめず、結婚後1年ほどで天然痘に罹患して18歳の若さで死去した。遺骸はドレスデンのカトリック宮廷教会に葬られた。夫は1787年にオーストリア大公女マリア・テレジアと再婚した。

マリーア・カロリーナの郷里での人気は高く、詩人グイド・ゴッツァーノも「Poesie Sparse」という詩集の中に王女を登場させている[2]

脚注[編集]

  1. ^ Luigi Bassignana, Torino in Festa, pp. 142-144, 2004, Torino Incontra
  2. ^ randi Classici, Italian literature”. Sapere.it. 2010年2月2日閲覧。

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