マリア・トールチーフ

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1955年

マリア・トールチーフMaria Tallchief, 1925年1月24日 - 2013年4月11日)は、アメリカオクラホマ州フェアファックス出身のバレエダンサー

来歴・人物[編集]

本名はエリザベス・メアリー・トール・チーフ (Elizabeth Marie Tall Chief)。父はアメリカ・インディアンオーセージ族酋長、母はスコットランドアイルランドの血を引く白人だった。

幼少時代にカトリックの学校に通い、のちに一家はビヴァリーヒルズに移住した。そこでマリアは、ブロニスラヴァ・ニジンスカの元で5年間学んだ。ニジンスカのバレエ哲学が彼女の基礎をつくったという。『夜眠るとき、バレリーナのように眠りなさい。通りでバスを待っているときも、バレリーナのように立つのよ』と教えられたと後に語っている。

プロの踊り手を目指した17歳のマリアは、自分で芸名をマリア・トールチーフと決め、ニューヨークへ移ってオーディションを受けた。彼女はバレエ・リュス・ド・モンテカルロに加わり、すぐに頭角を現した。

グルジア生まれの振付家ジョージ・バランシンは、彼女のためにいくつもの作品を創造している。2人は1946年8月に結婚し、1952年に離婚した。子供はなかった。マリアはニューヨーク・シティ・バレエ団の最初のプリマバレリーナとして、1947年から1960年までその座にあった。バランシンは同じバレエ団の主席振付家だった。1949年、マリアはバランシン振付の『火の鳥』を踊った。この作品でマリアはパリ・オペラ座にも立った。バランシン版『くるみ割り人形』の金平糖の精も、彼女が最初である。

世界的な成功をおさめたマリアを讃え、1953年に大統領ドワイト・アイゼンハウアーは、彼女をその年のウーマン・オブ・ザ・イヤーに選定した。

マリアはニューヨーク・シティ・バレエのみならず、世界中のバレエ団と踊り続け、1965年に引退した。

その後、1981年に妹マージョリーとともにシカゴ・シティ・バレエ団を創設し、1987年まで芸術監督を務めた。

2013年4月11日死去。88歳没。

家族[編集]

マリアは1956年6月にシカゴ出身の建築家ヘンリー・パスチェンと再婚。2003年にヘンリーが亡くなるまで連れ添った。一人娘エリス(1959年生)は、詩人として成功を収めている。

実妹マージョリーも姉マリアと同じくバレエ・ダンサーである。アメリカン・バレエ・シアターなどでキャリアを積み、1957年にアメリカ人としては初のパリ・オペラ座バレエ団のエトワールとなった。オペラ座退団後は1964年から1966年の間、夫スキビンが創設したハークネス・バレエ団に参加。シカゴ・シティ・バレエ団創設後は同バレエ団の学校長に就任した。

漫画化[編集]