マリア・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ
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マリア・デ・アラゴーン・イ・カスティーリャ(María de Aragón y Castilla)またはマリア・デ・トラスタマラ(María de Trastámara:いずれもスペイン語名 1482年6月29日 - 1517年3月7日)は、ポルトガル王マヌエル1世の2度目の王妃。
アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世の三女(第4子)として生まれた。マヌエルの先妻はマリアの長姉イサベルであったが、1498年に死別し、1500年にマリアと再婚した。マリアは10子を生んだが、王に先だって1517年に病死した。翌1518年、マヌエルはイサベルおよびマリアの姪レオノール(マリアの次姉フアナ女王の娘)と3度目の結婚をした。
子女[編集]
- ジョアン3世(1502年 - 1557年)
- イザベル(1503年 - 1539年) 神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)妃。
- ベアトリス(1504年 - 1538年) サヴォイア公カルロ3世妃。
- ルイス(1506年 - 1555年) ベージャ公。独身。王位請求者アントニオは庶子の一人。
- フェルナンド(1507年 - 1534年) グアルダ公。マリアルヴァ伯女グイオマールと結婚。
- アフォンソ(1509年 - 1540年) 枢機卿
- マリア(1511年 - 1513年)
- エンリケ1世(1512年 - 1580年) 枢機卿。大甥セバスティアン1世の死後に即位。
- ドゥアルテ(1515年 - 1540年) ギマランイス公。ブラガンサ公女イザベルと結婚。ジョアン4世の祖父。
- アントニオ(1516年、夭折)