マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1882-1940)

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マリア・アンナ大公女

マリア・アンナ・イザべレ・エピファーニエ・オイゲーニエ・ガブリエーレ・フォン・エスターライヒMaria Anna Isabelle Epiphanie Eugenie Gabriele Erzherzogin von Österreich, 1882年1月6日 リンツ[1][2] - 1940年2月25日 ローザンヌ[1][2])は、オーストリア皇帝家の分家テシェン公爵家の公女で、ブルボン=パルマ公家家長エリアスの妻。

テシェン公爵家の当主フリードリヒ大公と、その妻でクロイ公爵家の公女であるイザベラの間の第2子、次女として生まれた。1903年5月25日にウィーンにおいて、パルマ公ロベルト1世の息子エリアスと結婚する。夫は知的障害のある2人の兄、エンリコジュゼッペの代わりにパルマ公爵家の実質的な家長を務め、1950年には実際に家督を継承した。

夫エリアスとの間に3男5女の8人の子女をもうけた。

脚注[編集]

  1. ^ a b Darryl Lundy (2004年11月7日). “Maria Anna Erzherzogin von Österreich”. thePeerage.com. 2009年8月5日閲覧。
  2. ^ a b Paul Theroff. “AUSTRIA”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2009年8月5日閲覧。