マリア・アメリア・デ・ブラガンサ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリア・アメリア・アウグスタ・ウジェニア・ジョゼフィナ・ルイザ・テオドリンダ・エロイーザ・フランシスカ・クサヴィエ・デ・パウラ・ミカエラ・ガブリエラ・ラフェラ・ゴンザガ・デ・ブラガンサ(Maria Amélia Augusta Eugênia Josefina Luísa Teodolinda Heloísa Francisca Xavier de Paula Micaela Gabriela Rafaela Gonzaga de Bragança, 1831年12月1日 - 1853年2月4日)は、ブラジル皇帝ペドロ1世の皇女、ポルトガル王女。
ペドロと2度目の皇后アメリー・ド・ボアルネの一人娘として、パリで生まれた。出生当時、父はその弟ミゲルとポルトガル王位を巡って戦争状態にあった。
1834年、父は内戦に勝利し、王権をマリア・アメリアの異母姉マリア2世に取り戻した。しかしその年のうちにペドロは急死し、翌年にはマリア女王と結婚していた母方の叔父、ロイヒテンベルク公アウグストも病死した。
マリア・アメリアは、静養先のマデイラ諸島・フンシャルで肺結核のため21歳の若さで病死した。遺体は、王家の墓所であるサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院に葬られた。