マゾフシェ公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
1450年のマゾフシェ公

マゾフシェ公は、ピャスト家のうちのマゾフシェ系が有していた称号である。以下にマゾフシェ公国及びその一部の統治者を全て列挙する。 一覧を簡素にするため、マゾフシェ公の称号に対する名目上の権利を有する者に関してはここでは全く列挙していない。

また、年号のいくつかは単に概算であることと、土地の確かな領有者については争いがあったということには注意。最後に、この図表では分割時の他のポーランドの公やヴァーツラフ2世及びヴァーツラフ3世 によって統治された土地は含まない。

統治期間 名前 備考
"Masławの国"
1037年 - 1047年 en:Miecław ミェシュコ2世酒注ぎ役マゾフシェに自分の国を建てようとしたが、カジミェシュ1世に敗れた。
マゾフシェ=クヤヴィ公国
1138年 - 1173年 ボレスワフ4世 ボレスワフ3世の息子。
1173年 - 1186年 レシェック ボレスワフ4世の息子。
1186年 - 1194年 カジミェシュ2世 (正義公), ボレスワフ3世の息子。
1194年 - 1200年 レシェク1世 (白公), 以下の兄弟と共同統治。
1194年 - 1247年 コンラト1世
1194年 - 1200年 en:Helen of Znojmo ♀, 摂政, 1206年に死去。
マゾフシェ(プウォツク)公国
1229年 - 1248年 ボレスワフ1世 コンラト1世の息子。
1247年 - 1262年 シェモヴィト1世 ボレスワフ1世の兄弟
1262年 - 1264年 Prejeslawa ♀, 寡婦で共同統治
チェルスク公国
1264年 - 1294年 コンラト2世
マゾフシェ公国
1262年 - 1313年 ボレスワフ2世 公国を統一し、息子達の間で分割された。
ラヴァ公国
1310年 - 1345年 シェモヴィト2世 息子の一人で死後に甥のトロイデン1世との間で公国は分割された。
チェルスク及びワルシャワ公国
1310年 - 1341年 トロイデン1世
1341年 - 1355年 カジミェシュ1世 1351年以降はポーランド王の臣下、1355年に死ぬと領地はマゾフシェに再統合された。
プウォツク公国
1313年 - 1336年 ヴァツワフ1世 ボレスワフ2世の息子, 1329年以降はボヘミア王の臣下。
1336年 - 1351年 ボレスワフ3世 1340年まで領地は摂政の統治下に置かれた。ボヘミア王の臣下。1351年に死ぬと領地はマゾフシェとポーランドの他の公の間で分割された。
ハーリチ公国
1323年 - 1340年 ボレスワフ・イェジ2世 トロイデン1世の息子。死去した1340年から1366年の間、ハーリチ公国は次第にポーランドに吸収されるようになる。
マゾフシェ公国
1341年 - 1381年 シェモヴィト3世 カジミェシュ1世の兄弟。ワルシャワ及びチェルスク公。1370年までにプウォツクを含むマゾフシェの大部分の再統一に努めたが、1374年に息子達の間で分割された。
プウォツク公国
1374年 - 1426年 シェモヴィト4世 シェモヴィト3世の息子。1386年以降は代々ポーランド王の臣下となった。1382年ドイツ騎士団によって多くの領地(ベウツヴィズナザフクシェプウォンスク)を奪われた。
1426年 - 1427年 トロイデン2世 シェモヴィト3世の息子。共同統治。
ラヴァ公国
1426年 - 1442年 シェモヴィト5世 シェモヴィト4世の息子。
1442年 - 1459年 en:Margareth of Racibórz ♀, 持参金としてゴスティニンを受け取ったが、残りの領地はプウォツクに吸収された。
ベウツ公国
1426年 - 1442年 カジミェシュ2世 シェモヴィト4世の息子。1434年まで兄弟と共同統治。死後にベウツはプウォツクに吸収された。
統一プウォツク公国
1426年 - 1455年 ヴワディスワフ1世 シェモヴィト4世の息子。
1455年 - 1481年 en:Ann of Olesnica ♀, ヴワディスワフ1世の寡婦。持参金としてen:Sochaczewen:Kołoen:Mszczonówを受け取る。
1455年 - 1461/1462年 シェモヴィト6世ヴワディスワフ2世 ヴワディスワフ1世の息子。1459年以降はゴスティニンを単独統治。
1462年 en:Paul of Gizycko プウォツク司教。1462年以降はポーランドのゴスティニン、ラヴァ、ベウツ、ワルシャワ公国のプウォツク、プウォンスク、ヴィズナ、ザフクシェの摂政。
ワルシャワ公国
1373年 - 1429年 ヤヌシュ1世 シェモヴィト3世の息子。1386年以降は代々のポーランド王の家臣。1391年以降はen:Podlasie公。
1429年 - 1454年 ボレスワフ4世 1436年まで母の摂政下に置かれ、1440年から1444年までPodlasie公。
1454年 - 1462年 シェモヴィト6世
1462年 en:Barbara Ruska (♀) とen:Paul of Gizycko ボレスワフ4世の寡婦とプウォツク司教の共同統治。
プウォツク公国
1454年 - 1475年 カジミェシュ3世 ボレスワフ4世の息子。1471年まで兄弟と共同統治。同年以降は司教領に属す領地の行政官となり1475年以降は放棄するものの1480年までプウォツク司教として統治した。
1471年 - 1495年 ヤヌシュ2世 カジミェシュ3世の兄弟でen:Ciechanówen:Łomżaを、カジミェシュ3世が放棄したプウォツク、プロニスク、ヴィズナ、ザフクルスを、1485年以降はen:Błonie,

:en:Kamieniecen:Wyszogródをそれぞれ統治。死後に公国はポーランドに吸収された。

ワルシャワ公国
1471年 - 1488年 ボレスワフ5世 ボレスワフ4世の息子。死後に領地はマゾフシェに吸収。
マゾフシェ公国
1454年 - 1503年 コンラト3世ルディ (赤公), ボレスワフ4世の息子。プウォツク、プロニスク、チェルスク、ヴィゾグロド、ワルシャワを含む再統合されたマゾフシェの大部分は未だにポーランド王の支配下に置かれていなかった。
1503年 - 1524/1526年 スタニスワフヤヌシュ3世 コンラト3世ルディの息子。1518年まで母アンナ・ラジヴィヴナの摂政下に置かれる。それ以降は共同統治(1524年までスタニスワフは死去)。1526年にマゾフシェはポーランドに吸収された