マゾヒズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

マゾヒズムドイツ語: Masochismus 英語: Masochism)とは、肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプである。被虐性欲とも言う。極端な場合や世界保健機関ICDにおいては、精神疾患とも見なされ、この場合は性的倒錯(パラフィリア)となる。しかしながら現在デンマークにおいてはマゾヒストの人権に配慮してマゾヒズムは精神疾患とはみなされなくなった。ジル・ドゥルーズの批判にもかかわらず、ICDにおいてはサディズムマゾヒズムは相関関係にあるという考えを背景にして両者は今なお「サドマゾヒズム(F 65.5)」という疾患名に包括されている。

なお、マゾヒズムという発音・表記はドイツ語英語の混淆したものと推測される。発音は、英語ではマソキズム、ドイツ語(Masochismus)ではマゾヒスムスに近い。

語源[編集]

『毛皮を着たヴィーナス』(Venus im Pelz)など自伝的な作品で、身体的精神的苦痛を性的快楽と捉える嗜好を表現したオーストリアの作家ザッヘル=マゾッホの名前に由来してこう呼ばれる。1886年に著書「性の心理学」でマゾヒズムの概念を提唱したのは、クラフト=エビングである(当時、マゾッホは存命であった)。性的な倒錯として定義されたが、後に、被虐的な傾向一般をマゾヒズム(Masochism)と言うようになり、性的嗜好のマゾヒズムは、「性的マゾヒズム(Sexual Masochism)」とも言い分けて区別することがある。

マゾヒスト[編集]

マゾヒズムの嗜好を持つ人を「マゾヒスト」と呼ぶ。俗語で「マゾ」と呼ぶ(用例「マゾ男」など)が、単に「マゾ」と略すと、マゾヒストとマゾヒズムの両方の意味がある。被虐性淫乱症とも呼ぶが、これは変態性欲の通俗概念などと同様、多分に差別的な呼称である。

ひとりの人間がサディズムとマゾヒズムを合わせ持っている場合はサドマゾヒストと言われる。略として、サドマゾとも言う。

マゾヒズムとは何か[編集]

人間が社会生活を行なっていれば様々な理不尽と思える状況に直面することがある。そういったときに「自分が我慢すればよい」と不当な圧力や要求に耐える人が存在する。また「囚われのお姫様」や「苦難を乗り越え進む英雄」と言ったヒロイックな状況は、苦痛・圧迫を伴いながらも陶酔感や大きな達成感が得られる。そのためどのような人間でも被虐嗜好的要素を持ち合わせていると言える。こうした自己犠牲や苦痛や逆境への親和が、実は、性的嗜好としてのマゾヒズムの基盤にある。

理不尽に他人から暴力を振るわれて、それでも「自分が悪かった」「自分が我慢すればいい」と考えるのは防衛機制であるが、マゾヒズムの心理には、このような機制が存在すると言うべきである。また自罰的傾向のある人は、他者から与えられる身体的精神的な加虐によって、かえって心の安定が得られることがあり、ここでもマゾヒズムへの趨向が見出される。

マゾヒズムはこのように、個人の自我の心理的な安定機制と深く関係している。これに対し、他者から苦痛や加虐を与えられて単に喜ぶだけの心理はマゾヒズムではないとする考えがある。しかし、性的な状況においてこのような機制が働けば、性的快感や性的興奮に繋がるのであって、それは即ち性的マゾヒズムであり、自虐的な心理傾向を、性的嗜好としてのマゾヒズムと区別する方が寧ろおかしい。このような区別の背景には、マゾヒズムを先天的気質あるいは人格の基底的趨向とする見方があるが、この考えは実証されていない。

マゾヒズムのなかには、先天的な素因が想定できるものがあるが、しかし、「マゾヒズム」という単一の心理趨向があるという根拠がそもそも存在しない。性的嗜好は、嗜好の現象的様態による分類把握であって、マゾヒズムのような心理機制がどのように成立しているのか、複数の機構が想定でき、更にそれ以上の多数の未知の要因が関係していると言うべきである。

マゾヒズムは幼年期にはすでに発症される例もある。幼児期に自分が囚われ、異性から拷問を受ける自分を想像し、興奮する児童もいる。このような場合、先天的マゾとして考えられるが、医学的な説明はない。

ある種類のマゾヒズムは精神障害として、性的倒錯に規定されている。このことより差別性が生まれることがある。また、世間一般で、マゾヒストは変態だとか異常だとかいう偏見も存在する。しかし、性的嗜好における異常とか正常という問題は難しい(参照:正常と異常性における健康)。

SMについて[編集]

マゾヒストがその性的嗜好を満たそうとするとき、必ずしもパートナーとして、サディズムの人を選ぶ必要はない。人間関係の一環としての性的な交際においては、程度にもよるが、ソフトな水準のマゾヒズム嗜好を、相手がサディスティックな行為によって満たすことはそれほど不可能なことではない。また、相手にサディズムの性的嗜好がある場合は、ある意味で理想的なカップルだとも言える。

しかし、マゾヒストやサディストという単純な区分は、微妙な個々人の性的嗜好のありようを表現できないのであり、失神するまでで打つ、棒で殴るなどの加虐を受けて満足するマゾヒストもいれば、それは暴行虐待に過ぎないと感じるマゾヒストもいる。相手との人間関係を配慮し、互いの嗜好についてある程度の妥協が行われる場合、そして両者のあいだの行為において満足が得られているのなら「SM」という概念が成立する。

サディズムにしろマゾヒズムにしろ、個人ごとで求める性的嗜好の内実の質は異なるのだという認識が重要である。これを無視して「サド男」や「マゾ女」など、先入観に基づく勝手な条件を相手に求めるとき、そんな好都合な条件に合う相手は極めて少ない、あるいはそもそも存在しないということを知ることになる。売春などで、マゾヒズム(あるいはサディズム)を売りにしている相手との行為などの場合は、相手が金銭と交換に「好都合な条件」を満たしてくれているのである。こういう形でも「SM」が成立する。

マゾヒズムである人間が同時にサディズムであるケースがあり、同じことであるが逆の場合もある。このような場合、「サドマゾヒズム」と呼ぶ。マゾヒズムの人間やサディズムの人間は必ずサドマゾヒズムなのかというと、一概には言えない。しかし、「サディズムとマゾヒズムは表裏一体である」という主張が古来よりある。「サディズム」の語源となったマルキ・ド・サドと「マゾヒズム」の語源となったザッヘル・マゾッホが両者共にサドマゾヒズム(サドは元来マゾヒズム的な嗜好を持っており、マゾッホは結婚した際、SMプレイで妻にM役を命じた)であった。 また、ドイツの社会心理学、精神分析学者であるエーリヒ・フロムは、著書「自由からの逃走」において、サディズムとマゾヒズムは本質的な部分において完全に同質な存在であり、自己実現をあきらめた人間が、他人に対して病的に従属しようとし、相手に対して歪んだ依存心を抱いてしまうとその結果発生するものであるとした。

快楽[編集]

で吊るされる、で打たれる、といったハードなSM行為はかなりの疲労と興奮をもたらす。そのため脳内麻薬物質の分泌が盛んになり、いわゆる「ハイ」な状態が起こる。これが、マゾヒストの快感の源だとする説がある。他方、行為がなくとも、状況を想像するだけで陶酔があり、快感が得られるという人も存在する。

マゾヒズムの特徴は、自分の体の性的感性が非常に大きいことに対しての感性である。また大きな快感を味わうことにより、恥ずかしいまでに性的欲望があることに気が付く。これら性的欲望を解放することが最大の喜びと感じてしまう。決して異性から受ける理不尽な扱いそのものに快楽を感じるものではない。決して痛みなどを受けることそのものに快楽を感じるものでない。性的感性が非常に大きいため体の一部に対する行為にも敏感に反応し、その行為を受けただけで性的に興奮している自分に驚き、快感となる。その性的な要求は果てしなく続くため、より性的に感じる方法を求め続けてしまう。その求め続ける自分に興奮してさらに求めるのである。自分の快感を求める姿を見られることが非常に恥ずかしい一方で、同時に非常に興奮している自分に興奮する。自分の体を弄ばれることが恥ずかしければ恥ずかしいほど、それでも求めてしまう自分に興奮するのである。その弄ばれる行為のひとつが鞭であり、ロープである。

BDSM一般に言えることであるが、マゾヒズムにおいてもサディズムにおいても、心理的な補償や、カタルシスの効果が背景に多く存在する。発達課程におけるインプリンティング学習文化的・社会的な自己の存在主張(現存在の意味充足)などの実存的なプロセスもあり、人間における自由と束縛をめぐる心理複合の所産とも言える。マゾヒズムの場合は、とりわけ複雑な現存在のありようが背景にあると考えられる。

派生語[編集]

  • 通常マゾヒズム・マゾヒストともに「M」と略す。対義語はサディズム(S)。
  • 極端にマゾヒスト的な性格の人間(またはそのような振る舞いや考え)を指す言葉として「ドM」という俗語が用いられている。ダウンタウン松本人志は、自分が作った言葉であると主張している[1]
  • また「わたしMなの」などとタレントが気楽に話すような(夏川純安田美沙子等が有名)「マゾヒズム」の用法があるが、性的嗜好のマゾヒズムとは意味が違う場合がある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注・出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 松本人志 『松本人志の怒り 赤版』 集英社、2008年。
  2. ^ 宮本信子が連ドラで復帰
  3. ^ 森下小太郎「『家畜人ヤプー』の覆面作家東京高裁倉田卓次判事」(『諸君!1982年11月号)