マサダ
座標: 北緯31度18分55秒 東経35度21分13秒 / 北緯31.31528度 東経35.35361度
|
|||
|---|---|---|---|
マサダ
|
|||
| 英名 | Masada | ||
| 仏名 | Massada | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(3),(4),(6) | ||
| 登録年 | 2001年 | ||
| 拡張年 | - | ||
| 備考 | - | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 地図 | |||
| 使用方法・表示 | |||
マサダ(ヘブライ語: מצדה、英語:Masada)とは、イスラエル東部、死海西岸近くにある古代ローマユダヤ属州時代の要塞の遺跡である。「マサダ」とはヘブライ語で「要塞」を意味する。
目次 |
[編集] 概要
ユダヤ戦争におけるユダヤ人の集団自決(73年)で知られ、2001年に世界文化遺産に登録された。
マサダはイスラエル国内でエルサレムに次ぐ人気の観光地となっており、観光用のロープウェイが整備されている。その歴史的経緯から現在でもなお多くのユダヤ人にとって特別な思い入れのある場所であり、ユダヤ人全滅の悲劇を再び繰り返してはならないという決意から、イスラエル国防軍の入隊式がマサダ頂上で行われ、国家への忠誠を誓う。
[編集] 歴史
東経35度21分13秒、北緯31度18分55秒に位置する標高約400メートルの岩山にある。
紀元前120年頃に要塞が建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修し、難攻不落と言われた。
66年にローマ帝国との戦争が始まり(ユダヤ戦争)、70年のティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムが陥落した(エルサレム攻囲戦)後、熱心党員を中心としたユダヤ人967人がエルアザル・ベン・ヤイルに率いられてマサダに立てこもり、ローマ軍15000人がこれを包囲した。ユダヤ人たちは2年近く抵抗したが、73年についにローマ軍によって攻め落とされた。陥落直前にユダヤ人たちは、投降してローマの奴隷となるよりは死をと、2人の女と5人の子供を残して全員が集団自決したという。これによってユダヤ戦争は完全に終結した[1]。
73年のローマ軍による破壊後は長い間その所在が分からなくなっていたが、1838年にドイツ人研究者によって発見された。
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
[編集] 交通アクセス
[編集] 脚注
- ^ フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ戦記』参照
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Masada - UNESCO World Heritage centre(公式サイト) (英語)
| 文化遺産 | |
|---|---|
| アッコ旧市街 | 聖書のテル群=メギド、ハツォール、ベエルシェバ | テルアビブの白い都市 - 近代化運動 | ネゲヴ砂漠の香の道と都市群 | ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群 | マサダ | |
| 世界遺産 | アジアの世界遺産 | イスラエルの世界遺産 | 五十音順 | | |