マクモリス (護衛駆逐艦)

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艦歴
発注
起工 1958年11月15日
進水 1959年5月26日
就役 1960年3月4日
退役 1974年12月16日
その後 インドネシア海軍に移管
除籍
性能諸元
排水量 基準:1,314トン
満載:1,970トン
全長 312 ft (95.1 m)
全幅 38.9 ft (11.84 m)
吃水 満載:12.1 ft (3.7 m)
機関 マルチプル・ディーゼル方式
フェアバンクス・モース38ND-1/8
ディーゼルエンジン (1,700 bhp)4基
1軸推進
最大速 20-22ノット
乗員 士官12名、兵員159名
兵装 Mk.34 3インチ単装速射砲2基
ヘッジホッグMk.11対潜迫撃砲2基
Mk 32 3連装短魚雷発射管2基
爆雷投下軌条(竣工時)1条
FCS Mk.70 砲FCS1基
Mk.105 水中FCS1基
レーダ AN/SPS-6 対空捜索用1基
AN/SPS-10 対水上捜索用1基
ソナー AN/SQS-4 艦底装備1基

マクモリス (USS McMorris, DE-1036) は、アメリカ海軍護衛駆逐艦クロード・ジョーンズ級護衛駆逐艦の4番艦。艦名はチャールズ・マクモリス中将に因む。

艦歴[編集]

マクモリスは1958年11月15日にオハイオ州ロレインのアメリカン・シップビルディング社で起工した。1959年5月26日にルイジアナ州エイボンデールのエイボンデール・マリンウェイズ社でチャールズ・マクモリス夫人(マクモリス中将の未亡人)によって命名、進水し、1960年3月4日に艦長マーティン・デニー少佐の指揮下就役した。

東海岸での整調後、マクモリスはサンディエゴへ移動、巡洋駆逐戦隊に合流した。1961年4月に初の6ヶ月に及ぶ極東配備に向かう。台湾海峡での偵察任務を行い、マクモリスは第7艦隊の対潜哨戒部隊に所属、また香港ではステーション艦の任務に従事し、日本海の各都市への友好訪問を行った。

その後の3度の極東配備も同様の物であった。1965年に母港が真珠湾に変更される。5月17日に真珠湾を出港、ベトナム沖に向かう。第5護衛戦隊の旗艦としてマーケットタイム作戦に参加、探索および監視任務に従事した。この配備中にマクモリスはベトナムの作戦地帯で艦砲射撃に参加した最初の護衛駆逐艦となった。マクモリスは8月後半にハワイへ戻り、その後南シナ海で作戦活動に従事、北太平洋および南太平洋に展開してその年を終えた。

1967年1月30日、真珠湾沖で対潜哨戒作戦任務に従事中、油槽船のトンビグビー (USS Tombigbee, AOG-11) と衝突、2名が死亡、7名が負傷した。 1973年7月1日に第39駆逐戦隊に配備となる。マクモリスは1974年12月16日に真珠湾で退役、除籍され、インドネシア海軍に移管された。インドネシアではングラ・ライ (KDI Ngurah Rai, D-3) と改名して活動、1982年には艦番号がD-344に変更された。ングラ・ライは2003年1月2日に退役した。

参照[編集]

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