マクデブルクのメヒティルト

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マクデブルクのメヒティルト

マクデブルクのメヒティルト(Mechthild von Magdeburg, 1210年 - 1279年)は、ドイツキリスト教神秘思想家。主著は『神性の流れる光』。

メヒティルトは哲学者、そして神秘家として、その人生の大部分を修道院組織の支援を受けずに一人で活動したが、その晩年はヘルフタの修道院に迎えられ、重要な一員となった。彼女は優れた詩と散文等を書き残している[1]

生涯[編集]

メヒティルトに関しては、明確な伝記情報が不足しているため、彼女の生涯に関する情報はそのほとんどが、彼女の作品の中に散乱している話を集めて形作られている。それらによると、メヒティルトは、ザクセンの高貴な一族として生まれ、12歳の時に聖霊の幻視を初めて経験しているとされる[2]

1219年、メヒティルトは「神の呼び声」と神のあいさつを受けた。それはその後の彼女の人生において毎日続いた[1]

メヒティルトは20歳の時、神の声に従って一切を放棄し、神に奉仕することを決めた。[3]

1230年には生家を離れ、マクデブルクにおいて、ベギン[4]となった。彼女はそのベギンたちの組織の中において指導的立場を経験したと考えられている[5]。 メヒティルトはこのペギンとしての生活をおよそ40年間送る。[6] このマクデブルクにおいて、メヒティルトはドミニコ会修道士と知り合い、ドミニコ会の第3会員となった[7]

メヒティルトがドミニコ会の著作をたくさん読んだことは明らかである[8]

メヒティルトは修道者たちの怠慢さ、神学的な見識に対する異議申し立てなどにより、教会の高位の聖職者を批判した。これは大きな反発を受け、メヒティルトの著作物を焼き捨てるようにと要求した者たちもいた[1]。メヒティルトは多くの批判の対象となった。年齢が進むにつれて、一人で生活することが困難になり、目も見えなくなっていった[1]

メヒティルトは1272年にヘルフタの修道院に入った。ここの修道者たちは、メヒティルトを保護し、そして彼女の晩年を支えることを申し出た。そしてこの修道院でメヒティルトは、彼女が経験した数多くの神の啓示を著作として書き残した。この修道院と修道院長が、この60歳を超えた健康に優れず、社会的に孤立した女性を受け入れたことについて、多くのことが語られている。例えば、メヒティルトが彼女が単に修道院に居住し、礼拝などの宗教行事には参加していたのか、修道女として誓いを立て、この修道院の正式な修道女となったかどうかは不明である[1]。ヘルフタの修道女たちは高度に教育され、そして神秘主義についての重要な作品はメヒティルトの若い同世代者たちによって生かされた。

メヒティルトがいつ死んだかは明らかになっていない。1282年だと一般的に言われているが、1290年代まで生きたとする学者もいる[9]。 メヒティルトは修道院内の敷地に埋葬されたと考えられるが、その墓標は特定されていない[1]

著作[編集]

メヒティルトはマグテブルグで20年間、自分の神体験について、厳しく沈黙していたが、1250年頃から彼女の聴罪司祭に従って霊魂内の神体験記録を記録し始めた[10]。   メヒティルトの著作は 『神性の流れる光』(Das fliessende Lichte der Gottheit) の7冊で構成されている。これは1250年1280年の間で書かれた。この作品は3段階の進化の過程が見られる。 最初の5冊は、およそ1260年までに書かれ、その後10間で第6冊を書きあげている[11]。 この6冊はメヒティルトの聴罪司祭で霊的指導者のドミニコ会士・ハインリヒ・フォン・ハレにより1265年頃から監修された[12]

メヒティルトがヘルフタの修道院に加わったのは1272年あたりであるが、彼女はここで第7冊を書き加えている。しかしこれは前6冊よりも文調の色合いが異なる。[13]

この作品は中部ドイツ語・ドイツ北部の方言で書かれている。この初版は消失しているが、第2写本は現存している。1290年前後で、ハレのドミニコ会修道士が7冊中の6冊をラテン語に翻訳している。また、14世紀の中旬に教区司祭のヘンリー(Henry of Nördlingen )がアレマンの方言である中高部ドイツ語に翻訳した。この版は1冊が完全な形で現存し、3冊は断片的な形で残っている。[9]

メヒティルトの作品が、彼女の存命中にラテン語に翻訳されている間、彼女の作品は15世紀において大方が忘れ去られたが、19世紀になって再発見され、出版された。彼女の作品は、学術的関心と祈りの文学的作品双方の文献として益々研究され続けている。 [7]

彼女は知恵を探求する人生についての著作を書き、自分が受けたの神からの啓示を語った。彼女の著作で他と一線を画するのは、彼女は低中部ドイツの言語でそれを書いたことである。当時は知的文学はラテン語で記述された。そのためメヒティルトは、ドイツ語を神や聖なるものを記述するのに値する言語として、そのように使用することを提唱した初期の人物として記憶される[1]

メヒティルトの著した『神性の流れる光』は13世紀のカリスマ的女性としての神秘的生活に関する体験記録である[14]

思想[編集]

日本語訳書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g Lindemann PhD., Kate. Women Philosophers
  2. ^ Flowing Light 4.2.
  3. ^ メヒティルト・フォン・マグテブルクの『神性の流れる光』:そのカリスマ的霊性神学 鈴木宣明
  4. ^ ベギン(Beguine)は修道女としての誓いを立てずに祈りを中心とした生活を営む女性を指す。当初は数も少なく、一人で暮らすものが多かったが、次第に人数が増えて来るとコミュニティを作って集団生活をするものたちも出てきた。[1]
  5. ^ Flowing Light 6.7.
  6. ^ メヒティルト・フォン・マグテブルクの『神性の流れる光』:そのカリスマ的霊性神学 鈴木宣明
  7. ^ a b Ghezzi, Bert. Voices of the Saints, Loyola Press, ISBN 978-0-8294-2806-3
  8. ^ See for example the influence of the friars in Flowing Light 4.20-22.
  9. ^ a b Bernard McGinn, The Flowering of Mysticism, (1998), p223.
  10. ^ メヒティルト・フォン・マグテブルクの『神性の流れる光』:そのカリスマ的霊性神学 鈴木宣明
  11. ^ Bernard McGinn, The Flowering of Mysticism, (1998), pp222-3.
  12. ^ メヒティルト・フォン・マグテブルクの『神性の流れる光』:そのカリスマ的霊性神学 鈴木宣明
  13. ^ Bernard McGinn, The Flowering of Mysticism, (1998), pp222-3.
  14. ^ メヒティルト・フォン・マグテブルクの『神性の流れる光』:そのカリスマ的霊性神学 鈴木宣明

関連項目[編集]