マウロ・ジャネッティ

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マウロ・ジャネッティ

マウロ・ジャネッティ(Mauro Gianetti、1964年3月16日- )は、スイスルガーノ出身の元自転車競技選手。2004年より、スコット・アメリカンビーフのチーム監督を務めている。

また、実子であるノエ・ジャネッティも自転車選手として、現在ジュニアのレースで活動中。

経歴[編集]

選手時代[編集]

1986年にプロロードレース選手としてデビュー。1990年ミラノ〜トリノを制覇。ポルティ時代の1995年1996年に選手生活のピークを迎えた。ちなみにこの間、今中大介とチームメイトだった。1995年、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュアムステル・ゴールドレースを優勝。同年のUCI・ロードワールドカップでは総合3位(優勝はヨハン・ムセウ)に入った。

1996年、クリテリウム・アンテルナシオナル総合3位。リエージュ〜バストーニュ〜リエージュでも3位に入った。生誕地でもあるルガーノで開催された世界選手権・個人ロードレースでは、優勝のヨハン・ムセウとのスプリント争いの末、1秒及ばず2位と惜敗。しかしシーズン終盤に開催された同年のジャパンカップサイクルロードレース(ジャパンカップ)ではムセウらを退けて優勝を果たした。

日本との縁が深い[編集]

選手及び監督時代を通じて日本のロードレース大会と縁が深く、ジャパンカップでは1996年の優勝の他、1995年と1997年には3位に入っている。さらに、2000年ツアー・オブ・ジャパンでは総合優勝を果たした。また、監督となってからも、スコット・アメリカンビーフの前身チーム名である、サウニエル・ドゥバル=プロディール時代に毎年ジャパンカップに出場。加えて2006年リカルド・リッコが、また2007年にはマヌエーレ・モーリが同レースを制覇するなど実績も残している。

ツール・ド・フランスでまさかの事態[編集]

2008年、サウニエル・ドゥバル=スコットに名称を改めて挑んだシーズンとなったが、同年のジロ・デ・イタリアではリッコが大活躍し、一時は総合優勝を果たすことになるアルベルト・コンタドールに対して4秒差まで迫り、総合2位に入った他、急遽出場となったツール・ド・フランスにおいても、リッコは第6、9ステージを勝利。また第10ステージではレオナルド・ピエポリ(1位)とフアン・ホセ・コーボ(2位)のワンツーフィニッシュが決まり、しかも第11ステージ終了時点において、コーボとリッコが総合10位以内に入る健闘を見せていた。

ところが第12ステージを前にして、リッコがCERA(持続性エリスロポエチン受容体活性化剤=Continuous Erythropoietin Receptor Activator)と呼ばれる第三世代EPOの陽性反応が出て、レースから追放される事態となり、しかも事の重大性にかんがみ、選手全員をリタイアさせた他、リッコの一件が解決に至るまでチーム活動そのものも一時休止することになってしまった。

さらにその後、リッコとピエポリがチームから解雇され、加えてピエポリもCERA使用歴があることを告白。リッコ本人は当初潔白を主張していたが、ツール・ド・フランス終了後まもなく使用を認めるに至った。こうした異常事態が発生したことを受け、サウニエル・ドゥバルが即座にスポンサーから撤退。残ったスコットと新スポンサーのアメリカンビーフがチームを再結成し、漸く8月28日、レース活動を再開した。

外部リンク[編集]