マウラナ・ファズルッラー
マウラナ・ファズルッラー(英語:Maulana Qazi Fazlullah、? - )はムッラーの称号を有し、パキスタンで活動が禁止されたイスラム法強化運動(Tehreek-e-Nafaz-e-Shariat-e-Mohammadi:TNSM)の指導者。パキスタン・ターリバーン運動の指導者の1人でもある。
経歴 [編集]
ファズルッラーが率いるTNSMは、彼の養父スーフィー・ムハマッド(Sufi Muhammad)が創設し、シャリーア法の導入を目的とした。ムハマッドは、2000年代初め、アフガニスタンでNATO軍により逮捕された(暴力を否定した後、2008年に釈放)。
2007年10月、ファズルッラーは、4,500人以上の兵士の支援の下、スワトの59村に並行政府を樹立し、シャリーア裁判所を導入し始めた。ファズルッラーは、地域の有力者と考えられ、ターリバーンの支持者であった。
この地域では、既に2006年に非合法のFMラジオ局が開設され、ジハードと反西側のプロパガンダを放送していた。彼は、全ての電子機器を「破戒の源」と呼んでいたが、このラジオ局のために「ラジオ・ムッラー」のあだ名を得た。ラジオ放送は、ジープに搭載された送信機から行われ、主として夜間に放送された。
ファズルッラーは、音楽、ダンス、コンピュータ、テレビ等を禁止し、彼の部下達は、髭を刈る散髪屋を脅し、少女の就学を禁じた。また、ムスリムをインポにすると考えて、ポリオの予防接種に反対したため、保健所職員は、この地域で暴行を受ける羽目になった。パキスタン当局は、ファズルッラーとバイトゥッラー・マフスードをベナジル・ブット暗殺の組織者と考えている。
2007年10月、スワト峡谷のパキスタン軍が自爆テロの攻撃を受け、アメリカ軍が投入されたが、事態は改善しなかった。戦闘開始後、数千人の住民がスワトを離れ、数百の学校が破壊された。その結果、パキスタン与党の国民党は、停戦を条件に地域の支配権をファズルッラーに認めざるを得なかった。
2009年2月、パキスタン政府は、スワトを含むマラカンド(Malakand)地域へのシャリーア法の導入を許可し、同年4月13日、アースィフ・アリー・ザルダーリー大統領は、同法案に署名した。