マイケル・ポンティ

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マイケル・ポンティまたはミヒャエル・ポンティMichael Ponti, 1937年10月29日 フライブルク – )はドイツ出身のアメリカ合衆国ピアニスト

経歴[編集]

才気走った解釈と超絶的な技巧演奏によって、ロマン派音楽に最適のヴィルトゥオーゾとして知られてきた。一方で1980年代以降のライヴ録音では、古典派音楽の繊細な解釈も披露している。

アメリカ陸軍の報道官の子として生まれる[1]。渡米後に1954年から55年までワシントンDCにおいて、レオポルド・ゴドフスキー門下のギルマー・マクドナルドにピアノを師事し、さらにエミール・フォン・ザウアーの門弟で助手であったエリック・フリンシュからも指導を受けた。64年にブゾーニ国際コンクールにおいて優勝する。ソリストとしての活動の傍ら、室内楽奏者としても活動し、77年にヴァイオリニストのローベルト・ツィマンスキーとチェリストのヤン・ポラセクとともに、自身のピアノ三重奏団を結成した(99年に解散している)。

レコード・CDでは、米ヴォックス・レコーズに入れた多量の録音で知られる。同社は他社との競争に耐えるため、知られざるロマン派音楽の作品の網羅という、今でこそ珍しくないが当時としては先駆的な事業に着手。ピアノ協奏曲でのソリストとしてポンティを大々的に起用した。一部のみならず、幅広く録音したことを通じて多くの音楽愛好家を生み出した。録音数は優に80点を超えている[2]イグナツ・モシェレスシャルル=ヴァランタン・アルカンジギスモント・タールベルクモーリッツ・モシュコフスキーハンス・ブロンサルト・フォン・シェレンドルフらの協奏曲の初録音も行なっている。日本では80年代初頭にワーナーパイオニアから主なものが国内盤として発売された。同時期に来日公演も果たしている。これらの録音は現在、蘭BRILLIANTレーベルから20枚組の廉価盤(黄金時代のロマン派ピアノ協奏曲~知られざる名曲集)に収録され再発されている。スクリャービンのピアノ曲の全曲録音も実は彼が最初に実現させており、さらにチャイコフスキーラフマニノフのピアノ曲全集も制作した。

82年の来日時にはカメラータ東京にショパンのソナタのほか、リスト、ムソルグスキーなどを録音、LPとして発売された。90年代には仏DANTEレーベルから「Un-Edited Live(無修正ライヴ)」と銘打ったライヴCDが7点ほど発売された。70年代後半から90年代半ばにかけてミュンヘン等で開かれた演奏会のライヴ音源が主体で、ハイドンやベートーヴェンなどの古典派から、お得意のリスト、ショパン、シューマン、ブラームスなどのロマン派、ムソルグスキーやスクリャービン、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーといったロシア物、ラヴェルまで、幅広いレパートリーを聴くことができる。ホロヴィッツが愛用していたピアノを弾いた録音もあった。

同時期に、ドイツのクラヴィンス・ピアノ(Klavins:高さ 3.7mもある巨大な縦型のコンクール製据置ピアノ)を使ってショパン、リスト、ムソルグスキーなどを録音したCDも数点あった。

ポンティは2000年に脳梗塞のため右半身の自由を失い[1]、現在はパウル・ヴィットゲンシュタインが委嘱した左手用の作品を演奏している。現在は、ガルミッシュ・パルテンキルヒェンの北部に住んでいる。

エピソード[編集]

ヴォックス社は経費削減のため、これらの録音ではスタジオに缶詰にして、録音はアップライトピアノを使わせ、睡眠は毛布一枚でとることをポンティに強いたと言い伝えられている。(しかし実際はグランドピアノで演奏している。そのような話が生まれるほどヴォックス社の録音は劣悪だった。)彼のリタイヤも、この時の過労によるものと見られている。

来日時にカメラータ東京でショパン等をスタジオ録音した際に「これまではレコード会社の求めに応じて録音してきたが、これからは自分でお金を出してでも納得のいくレコードを作りたい」旨を語っている(ライナーノーツから)。

脚註[編集]

  1. ^ a b http://www.swr.de/swr2/programm/sendungen/musikstunde/-/id=2632040/property=download/nid=659552/jkvlt4/swr2-musikstunde-20071103.rtf
  2. ^ Ponti's biography on the Naxos site