マイク・ホンダ
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Mike Honda
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マイク・ホンダ
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| 生年月日 | 1941年6月17日(71歳) |
| 出生地 | カリフォルニア州 |
| 出身校 | サンノゼ州立大学修了 |
| 所属政党 | 民主党 |
| 公式サイト | Congressman Mike Honda |
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| 選挙区 | カリフォルニア州第15区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 任期 | 2001年1月3日 - |
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| 選挙区 | カリフォルニア州第23区 |
| 任期 | 1996年 - 2001年 |
マイケル・マコト・“マイク”・ホンダ(Michael Makoto "Mike" Honda、日本名:本田 実(ほんだ まこと)、1941年6月17日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。日系アメリカ人としてカリフォルニア州に生まれ、現在、民主党のカリフォルニア州第15下院議員選挙区選出(シリコンバレーも包括)の下院議員。学歴はサンノゼ州立大学修了。学位はBachelor in biological sciences and Spanish及びMaster in Education。
目次 |
経歴 [編集]
祖父母が熊本県出身の日系三世[1]。1941年6月17日、太平洋戦争開戦直前にカリフォルニア州サンフランシスコ近郊のウォルナット・グローブに食料品店を営む両親のもとで長男として生まれた[2]。後に弟と妹が生まれる。
翌1942年に太平洋戦争が勃発した中、利敵行為を防ぐために日系米国人を強制的に収容する政府の政策により、コロラド州の日系人強制収容所に送られ、幼少期の14ヶ月間を家族とともに収容所で過ごした。1953年に故郷のカリフォルニア州に戻り、イチゴ 農場に転じた両親とサンノゼに住み、小作農として働く。
州立サンノゼ大学で生命科学とスペイン語を専攻。在学中の1965年、ジョン・F・ケネディ大統領の発展途上国援助のためのボランティア派遣計画に応じて大学での研究を中断し、南米のエルサルバドルで”US peace corps volunteer”(アメリカ平和部隊)として2年間奉仕活動をおこなう。
1968年に卒業。卒業後は理科教師になり、2つの公立学校で校長を務めた。スタンフォード大学で教育研究も行う。1974年に修士号を取得。
1971年 、ノーマン・ミネタ市長よりサンノゼ市計画委員会に任命される。1981年、同市教育委員、1990年にサンタクララ郡委員に選出。
1996年にカリフォルニア州下院議会議員に選出、2001年まで務めた。
1997年に日本の戦争犯罪に加担したとされる在米日本企業を誰でも提訴できるとするトム・ヘイデン法が成立すると、これに乗じて1999年に在米日本企業を相手取り、対日戦時賠償要求訴訟を提訴。中国・韓国人を不当に安く戦時徴用したことに対し1兆ドル(当時120兆円)を請求した[2]。なおこのヘイデン法(州法)は後に連邦最高裁で違憲と判定された。
同年8月4日、ホンダが提案した「対日戦後補償要求」決議(AGR-27)がカリフォルニア州議会で可決[3]。同決議では日本政府に対し、南京大虐殺や慰安婦問題などの第二次世界大戦中の戦争犯罪に対する明確な謝罪と犠牲者への賠償を要求している[4]。
2001年からカリフォルニア選出の下院議員を務めている。2004年には妻が死去(妻との間に息子、娘がいる)。2005年2月、民主党全国委員会副議長に選出。
2006年、イスラム教徒の下院議員が私的な就任記念パーティにおいてコーランに手を置いて宣誓する記念写真を撮影しようとして、保守系政治家らに「キリスト教の聖書に手を当てて宣誓する米議会の伝統に反する」[5]と非難された際、「米国は多様性を受け入れなければならない」と反論する公開書簡を発表。
2007年より下院歳出委員会に所属。アジア太平洋地域出身の米国議員総会議長に就任[6]。
2007年1月末 米下院議員との共同署名で下院に慰安婦問題に対する日本政府の謝罪要求決議案を提出。
同年5月4日、終戦直後にアメリカの進駐軍が日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設である特殊慰安施設協会の開設を許可した書類が発見されたとAP通信が4日付で報じたことを受け、議会調査局に米軍についての調査を依頼。
2007年8月、すでに1993年に詐欺罪で指名手手配をうけながら米民主党、特にヒラリー・クリントンの資金源として暗躍していた中国系アメリカ人ノーマン・スー(Norman Hsu、徐詠芫)の逮捕後、スーから献金を受けていたホンダは、公開の謝罪と資金返還を余儀なくされた。なお、ノーマン・スー事件は、ヒラリーの大統領指名選敗北の主因となったとされる[7]。
2009年に成立したバラク・オバマ政権では教育長官のポストに強い意欲を見せていたが、オバマはシカゴ市教育長のアーン・ダンカンを教育長官に指名したため、就任は実現しなかった。
政治活動 [編集]
対日戦時賠償要求訴訟 [編集]
1997年、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ及びその同盟国による奴隷・強制労働の損害賠償請求の時効を2010年まで延長するとの特例州法トム・ヘイデン法(ヘイデン法)が成立した。
ヘイデン法成立に乗じて、在米日本企業を相手取り、対日戦時賠償要求訴訟を提訴し、中国、韓国人を不当に安く戦時徴用したことに対し1兆ドル[8](当時120兆円)を請求した[2]。三井物産、三菱商事、新日鉄、川崎重工など14社が被告となり、アメリカ国内では15件、原告総数は1000人以上であった[9]。議会でマイク・ホンダは「日本は南京虐殺にも、従軍慰安婦にも、強制労働をさせた連合軍兵士にもこれまで謝罪も賠償もしていない」と主張し、A・ボック議員は過去に遡及する法案の法的根拠の薄弱さを指摘し、「戦争犯罪をいうならヒロシマ(の原爆)こそ議論すべきだ」と反論した。また政治学者のチャルマーズ・ジョンソンも「小金もち日本にたかるあさましい意図」と批判した[10]。
1952年の日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)において損害賠償請求権は1952年を以って消滅しており、またアメリカ合衆国憲法によれば、条約は連邦法と同位でありかつ、州法・州憲法よりも上位とされているため、平和条約に反する州法はアメリカ国内において無効である[11]。このヘイデン法(州法)は後に連邦最高裁で違憲と判決された。
当時の背景としては、ベルリンの壁崩壊以降、東欧諸国との戦後賠償問題が発生し、またアメリカでもユダヤ系市民が在米ドイツ企業を相手に賠償請求裁判を大量に起こしていた[12]。しかし、米連邦裁判所は「すでに西ドイツ政府とホロコーストの被害者やイスラエル政府との間に賠償交渉が成立している」として請求棄却していた。そこで、訴訟窓口だったロサンゼルスのミルバーグ&ワイス弁護士事務所は、ドイツと東欧諸国の賠償交渉にアメリカ人弁護士が介入することを大統領に提案、1999年2月、ドイツの政府と企業が共同で50億ドルを拠出して償いとする「記憶・責任・未来」基金[13](2000年8月12日施行)が創設される。高山正之によればミルバーグ&ワイス弁護士事務所の動きとマイク・ホンダは連動していたとの見方をしており、事実、ミルバーグ&ワイス法律事務所が原告代理人として裁判を担当した[14]。
人権問題に関して [編集]
- 2001年のアメリカ同時多発テロ事件以後のアメリカでのムスリム(イスラム教徒)に対する偏見に抵抗するなど、人権問題に対して精力的に取り組んでいる。
- 中国の人権問題に関しては、「将来の改善が必要である」などとしている[15]。2004年に米国下院に天安門広場での民主化を求めるデモを中国政府が弾圧した事件(六四天安門事件)を非難する決議案が提出された際には賛成票を投じた。
慰安婦をめぐる対日謝罪要求決議案 [編集]
- 従軍慰安婦問題について、ホンダ議員は日本政府への慰安婦に対する謝罪要求決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)[16]を米下院に提出している(直接の請願者はマイアミで慰安婦救済活動に取り組んでいるEvelina Galang[17]であり、ホンダは請願紹介議員である)。日本政府の謝罪を求める同様の一連の決議案は、過去5回提出されていずれも廃案になっており、2007年の6回目は今までになく注目を集めた。2007年6月26日、米下院外交委員会は賛成39票、反対2票の大差で決議案を可決。2007年7月30日に下院本会議で決議案が採決にかけられた。民主党のナンシー・ペロシ下院議長が決議案を支持すると表明し、共同提案者は168名に達した。採決時には議事進行簡潔化の為にサスペンション・オブ・ザ・ルール動議(議論の必要のない議案をすばやく可決するのに用いられる手法)が適用された。議場にいた10人は反対意見がないことを確認し決議は可決された。
- 決議案は日本政府に対し下記4点を勧告している。(1)「慰安婦」として強要したことの責任を認めること、(2)公式に謝罪すること、(3)性奴隷化、人身売買を否定する声に日本政府が明確に反論すること、(4)この出来事を国民に対し知らせ、教育をおこなうこと。
- 議案を推進する在米韓国・中国系市民団体の主張によると、1930年代から1940年代にかけ、20万人を超える朝鮮・中国・フィリピン・インドネシア等の女性が拘束され、旧日本軍兵士へのセックス提供を強いられた[18]という。
- ホンダは、『東亜日報』の取材の中では、「日本に恥をかかせ叩こうとするものではない」[19]「日本が名誉な評価を受ける国になることを心より願う」[20]と述べている。2007年2月25日放送の『報道2001』に出演した際も、「これは反日の決議案ではありません。あくまでも和解ということを、平和ということを意識した決議案である」「国会を通じて、総理大臣を通じて、正式にきちんと陳謝するというプロセスが重要である」という旨を述べた。さらに同番組では、日本軍による強制性を信じる根拠について、「実際に被害者が語っていること」「償いという形でアジア女性基金が起こっていること」「河野談話という形でコメントが出ていること」「首相が実際に謝っていること」などを挙げた。
- 2008年1月8日に来日。民主党の江田五月参議院議長、神本美恵子、水岡俊一や日本共産党の紙智子、仁比聡平と会談を行う。「従軍慰安婦の問題で日本人に罪を認めさせるのは、とても難しい課題だが、みなさんとセイムなハート(同じ気持ち)だ」と発言した。[8]
- 2009年8月12日、江原大学で名誉教育学博士学位を受けるために訪韓し、ナヌムの家を訪問した。
政治資金・関連団体 [編集]
サンノゼを中心とするシリコン・バレーを選挙区(第15区)としている。同地域はスペイン系のほか中国系、韓国系、ベトナム系の住民が多く、アジア系の人口比率が米国本土では最高の29%を占めている[2]。
Korean American Voters' Councilによれば、慰安婦問題をめぐる対日謝罪要求決議案[16]が採択された2007年から2010年にかけ、アメリカの上下院議員中、韓国系から最も多額の政治資金を集めた議員であった。その額は13万9,154ドルであった[21]。
マイク・ホンダと連帯して下院決議案を推進してきた人物に韓国系アメリカ人のソー・オクチャ博士がいる。オクチャはワシントンに本拠を置く「慰安婦のためのワシントン連合」の会長でもあり、米地方裁判所に提訴した15人の慰安婦の裁判闘争を支援してきた[2]。2007年2月15日の公聴会でも、慰安婦人権保護支援組織のミニー・コトラーとともに陳述を行っている。
中国系団体との関連性 [編集]
産経新聞の古森義久記者は、中国系の世界規模の団体「世界抗日戦争史実維護連合会」、中国政府に政策提言する「人民政治協商会議広東省委員会」、日本の「残虐」を恒常的に糾弾する団体「アジア太平洋第二次大戦残虐行為記念会」、南京大虐殺記念館を米国に開設しようという中国系組織の「中国ホロコースト米国博物館」などをはじめ、特に2006年の下院選挙の際には94名、約11万ドルの献金を中国系から受け取っていたと報道しており、ホンダが受けた献金のうち人数で21%、金額で30%が中国系からのものであると伝えられ、ホンダ議員の日本に関する一連の行動の裏にはその力が働いていると指摘している[22]。なお公表されているホンダへの献金額の個々のランクでは中国系とは関係のない労働組合、業界団体が上位を占めている[23]。
関連する人物や団体 [編集]
- 世界抗日戦争史実維護連合会
- 人民政治協商会議広東省委員会
- アジア太平洋第二次大戦残虐行為記念会
- 中国ホロコースト米国博物館
エピソード [編集]
- 自身の公式ウェブサイトにおいて、経歴を、英語・スペイン語、ベトナム語で載せている。
- 妻は広島出身者であり、原爆にも否定的態度をとっている。
- ことあるごとに、自身は反日主義者ではないという事を強調しており、NHKのインタビューに答えた際は、自宅では自ら日本料理を作ったりするなど、現在でも日本人としてのアイデンティティを持ち合わせているという旨の発言をした。
- 謝罪決議案と同時にウイグルの人権支援も決議されており、決議の賛成者には親台湾の議員も存在している。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
脚注 [編集]
- ^ International Herald Tribune 2007年5月12日記事より [1]
- ^ a b c d e 秦郁彦. “米軍もさんざ日本じゃ慰安させ――朝日川柳――”. いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト. ワック・マガジンズ. 2011年10月27日閲覧。
- ^ 1999年12月11日に東京都の社会文化会館で行なわれた「戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォーラム」において、ホンダは「AGR-27(カリフォルニア州)決議は日本政府を困惑させるためにやったものではない、「APA(環太平洋)コミュニティ」結束の為にやった。」と述べたという(松尾一郎 マイケル・ホンダ(Michael Honda)氏との対話)。
- ^ 『産経新聞』(1999年9月4日付) 東京夕刊「異見自在」
- ^ 大統領就任式とは違い、米議会にはそのような伝統はない
- ^ 『朝鮮日報』 2007年2月10付
- ^ [2]
- ^ ロサンゼルス・タイムズ報道。高山前掲記事
- ^ [3]
- ^ 高山正之の異見自在、2001年01月27日産経新聞。[4]
- ^ [5]
- ^ 高山正之の異見自在、2001年01月27日産経新聞。[6]
- ^ [7]
- ^ 前掲記事
- ^ AsianWeek.com: National News: Congressman Mike Honda To Visit China(ホンダ議員が訪中)(Asianweek)
- ^ a b H. Res. 121 (110th U.S. Congress: 2007-2008)
- ^ Evelina Galangは呼びかけブログ 「LABAN! Fight for Comfort Women 」の運営者である。
- ^ Congress backs off of wartime Japan rebuke(戦時の日本に引き返す国会非難?)
- ^ http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=060000&biid=2007020252308#top 『日本を糾弾する日系米国人の政治家 マイケル・ホンダ氏』] (『東亜日報』2007年2月2日付)
- ^ 『謝罪に手遅れはない 』 (『東亜日報』2007年2月10日付)
- ^ "뉴욕시 출마자에 108만달러" 『The Korea Times』,2011年2月4日付
- ^ 2007年3月15日 産経新聞(ワシントン=古森義久)
- ^ MIKE HONDA: CAREER PROFILE (SINCE 2000) Top Contributors