マイク・ホアー

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トーマス・マイケル・ホアー
Thomas Michael Hoare
Mike Hoare in the Congo in 1964. Photo by Agence Presse.jpg
1964年コンゴにて
渾名 マッド・マイク("Mad Mike")
生誕 1920年
インド
所属組織 Flag of the British Army.svg イギリス陸軍
最終階級 少佐(イギリス軍)
除隊後 傭兵
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トーマス・マイケル・ホアー(Thomas Michael Hoare、1920年 - )、通称マッド・マイクは、著名なアイルランド人傭兵セーシェルにおけるクーデターを指揮したことでも知られる。

初期の経歴と軍歴[編集]

1920年インドにて生を受ける[1]。幼少期をアイルランドで過ごし、後にイギリスへ渡って教育を受けた。第二次世界大戦中にはイギリス陸軍の将校としてビルマ戦線北アフリカ戦線に従軍し、終戦までに大尉となる。戦後、公認会計士としての研修を受け、1948年には正式に資格を得る[2]。やがて彼は南アフリカナタール州ダーバンに移住し、冒険旅行を行いつつ、アフリカ各国で非正規雇用の兵士として活動した。

コンゴ動乱[編集]

コンゴ動乱の最中、マイク・ホアーは2つの傭兵集団を組織・指揮した。

マイク・ホアー少佐は、新生コンゴからの独立を図るカタンガ州で傭兵としての活動を開始した。この部隊は第4コマンドー部隊(4 Commando)と呼ばれた。この頃、ホアーはスチュワーデスだったフィリス・シムス(Phyllis Simms)と結婚している。
ザイールモイーズ・チョンベ首相は、南アフリカ人兵士300名で編成された第5コマンドー部隊(コンゴ)(5 Commando (Congo))の指揮をマイク・ホアー少佐に依頼する。この際、南ア軍落下傘部隊のGD・Snygans大尉が若年ながら副官に任命されている。第5コマンドー部隊の任務は、分離独立派の反政府組織Simbaと戦う事であった。

後にホアーと彼の傭兵団は、ベルギー軍空挺部隊、亡命キューバ人パイロットと係わりを持った他、ドラゴンルージュ作戦の折には1600名の民間人(主にヨーロッパ人や宣教師)をスタンリービルから救出するべく、CIAに雇用された[3]。この作戦で多くの人命を救ったホアーは、後にコンゴ国民軍(ANC)の中佐となり、第5コマンド部隊は2個大隊に拡張された[4]

通称の「マッド・マイク」は、60年代のコンゴで放送されていた東ドイツプロパガンダ放送に由来する。このラジオ放送では、彼を「血に飢えた狂犬、マイク・ホアー」と称している。

アイルランド系南アフリカ人の作家、ブリー・オマラ(1968年-2010年)は彼の姪である。彼女はアフリキヤ航空771便墜落事故で命を落とし[5]、当時執筆中であった"傭兵"マイク・ホアーの活躍をモチーフとした作品群は未発表に終った。

セーシェル事件と有罪判決[編集]

1978年南アフリカ共和国にてジェイムス・マンチャム元大統領を始めとするセーシェル人亡命者たちはフランス=アルベール・ルネ大統領に対するクーデターを企画し、南アフリカ政府当局との秘密会談が行われた。

また、ディエゴガルシア島への米軍基地建設に関する問題でルネが激しい抵抗を示していた為、アメリカ政府内部でもこのクーデターへの支援を行う事が決定された。

南アフリカで一介の民間人として暮らしていたホアーはマンチャムからの連絡を受けるなり、南アフリカ軍特殊部隊旅団の隊員や元ローデシア軍人、及びコンゴで戦った傭兵達など53名の兵士を召集した。ホアーは白人かつ中産階級の傭兵で傭兵団を編成し、彼らは1930年代の英国の上流階級社交クラブの名を取って "Ye Ancient Order of Froth-Blowers" (AOFB) と呼ばれた[6]

後にホアーが著したThe Seychelles Affairによれば、傭兵団はラグビー団体を装い、手荷物の底にAK-47突撃銃を隠していたのだという。

我々はヨハネスブルクのビール愛好会だった。週に一度、Braamfonteinにある皆の行きつけのパブで一緒に飲んだものだ。それからラグビーもやった。年に一度、愛好会の為の祝日を設けもした。そして、我々は特別チャーター便の料金を支払ったのだ。昨年、我々はモーリシャスに向かった。本物のAOFBでは、恵まれない子供の為にオモチャを集めて孤児院に配るなんて素晴らしい伝統がある……私は確かに、出来る限り大量のオモチャを荷物に押し込んだ。ラグビーのフットボールは理想的だった。これを押し込み、上げ底の隙間にはちょっとした特別な荷物を詰め込んだ。[7]

しかし、セーシェル空港にてある税関職員がホアーの部下(当時17歳の少年だったと言われる)の手荷物を検査しようと試みたことにより、唐突に銃撃戦が始まった。周到に偽装されていたにもかかわらず、何らかの理由からAK-47を発見した税関職員は警報を鳴らして逃げ去ろうとしたのである。ホアーの部下は手荷物からAK-47を引っ張り出し弾を込めると、税関職員が建物の反対側に到達する前に射殺した。ホアーはクーデター計画の続行を決断し、傭兵団は兵舎の占領を狙い展開した。

銃撃戦は空港のど真ん中で起こったが、この最中にエア・インディアのジェット旅客機224便が滑走路に緊急着陸してフラップに損傷を受けている。ホアーはこれらの航空機や一般の乗客を傷つけることを良しとせず、銃撃を停止し治安当局との交渉に移った。数時間後、ホアーは作戦の失敗を認め、彼ら傭兵団はエア・インディア機をハイジャックして脱出する事になる。傭兵団が補充用の航空燃料を発見した後、エア・インディア機の機長は彼らの搭乗を許可した。

ホアーが機長に「何故銃火の中に着陸したのか」と訪ねると、機長は「銃撃戦に気づいた頃には既に着陸態勢に入っており、また巡航可能な高度に復帰して予定通りに飛行するには燃料が足りなかった」と答えた。またホアーは南アフリカに戻る前に銃火器を海へ投棄したいので扉を開けてくれと頼んだが、機長は「昔とは違うんだ」と笑い、高高度のジェット機の扉を開けることは不可能だと説明した。

傭兵のうち4名はセーシェル空港に取り残され、反逆罪の咎で有罪判決を受けている[6]

1982年1月、国連安保理決議496に基づき、国際委員会でセーシェルにおけるクーデター未遂に関する調査と会議が行われた。ここで作成されて報告書では、武器弾薬の提供などを含め、南アフリカの軍当局が関与していたと結論付けられている。南アフリカとの外交問題を避けるべく、当初はハイジャック犯には裁かれうる罪のうちもっとも軽微な誘拐罪で起訴されたが、国際社会の反発を理由に罪状はハイジャックに格上げされている[6]。マイク・ホアーは航空機ハイジャックの罪で有罪判決を受け、懲役10年の刑を言い渡された。最終的に43人の容疑者のうち、42人が有罪判決を受けている。

ここで無罪となった1人は、アメリカ出身の元ベトナム復員兵であったという。彼は銃撃によって負傷しており、ハイジャックには関与していなかったとされる[6]。傭兵らの多くは、3ヶ月後に釈放されている。

刑務所に居る間に、ホアー大佐はワイルド・ギースの名誉会員にその名を連ねたが、その後は傭兵としての依頼に恵まれる事は無かった。また公認会計士としてのホアーは、英国勅許会計士(ICAEW)に所属していた。ホアーは会費を払い続けていたので逮捕後も会員であり続けたが、他の会員などからの抗議もあり1983年には投獄を理由にホアーを除名している[2]

映画『ワイルド・ギース』[編集]

1970年代中頃、ホアーは傭兵の戦いを描いた戦争映画『ワイルド・ギース』のアドバイザーとして雇われた。この映画はクーデターにより失脚したアフリカ某国の大統領を救出するべく傭兵部隊が雇われるというストーリーで、主人公アレン・フォークナー大佐はホアー自身をモデルとしている。また出演した俳優のうち、少なくとも一人はホアーの下で戦った本物の傭兵であった。さらに傭兵役俳優のうち4人はアフリカ生まれで、そのうち2人は十分な軍事訓練を積んでおり、捕虜となった経験もあった。ハーディ・クリューガーは元ヒトラーユーゲント団員であり、武装親衛隊に従軍していた頃には何度も捕虜となり、また何度も脱走している。

著書[編集]

参考文献[編集]

  • Torsten Thomas/Gerhard Wiechmann: Moderne Landsknechte oder Militärspezialisten? Die "Wiedergeburt" des Söldnerwesens im 20.Jahrhundert im Kongo, 1960-1967, in: Stig Förster/Christian Jansen/Günther Kronenbitter (Hg.): Rückkehr der Condottieri? Krieg und Militär zwischen staatlichem Monopol und Privatisierung: Von der Antike bis zur Gegenwart, Paderborn u.a. 2009, p. 265-282.
  • Anthony Mockler: The new mercenaries, New York 1985.

脚注[編集]

  1. ^ Villafaña, Frank (2009). Cold War in the Congo. New Brunswick, NJ: Transaction. pp. 74. ISBN 978-1-4128-1007-4. 
  2. ^ a b “Cautionary Tales: Soldier of Fortune”. Accountancy (ICAEW) 148 (1421): 113. (January 2012). ISSN 0001-4664. 
  3. ^ “Changing Guard”. Time Magazine. (1965年12月19日). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,834782,00.html?promoid=googlep 2007年6月6日閲覧。 
  4. ^ Anthony Mockler, The New Mercenaries, Corgi, 1986, 111
  5. ^ Bree O'Mara's obituary The Times, 14 May 2010.
  6. ^ a b c d “Cooked Goose - "Mad Mike "gets ten years”. Time magazine. (1982年8月8日). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,925646-1,00.html 
  7. ^ Hoare, Mike The Seychelles Affair (Transworld, London, 1986; ISBN 0-593-01122-8)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]