マイク・スウェイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル

マイク・スウェイン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
柔道
オリンピック
1988 ソウル 71kg級
世界柔道選手権
1987 エッセン 71kg級
1985 ソウル 71kg級
1989 ベオグラード 71kg級

マイク・スウェイン(Michael ("Mike") Lee Swain 1960年12月21日 - )は、アメリカエリザベス出身の柔道選手。階級は71kg級。身長175cm[1]

人物[編集]

1985年の世界選手権では、決勝で韓国の安柄根背負投で技ありを取られて敗れるものの2位となった。この時期は日大で稽古を積んでいた。1986年の嘉納杯と1987年1月の正力国際では、決勝で古賀稔彦に背負投で敗れた。しかし、11月にエッセンで開催された世界選手権では、3回戦で古賀から大内刈で効果を取って破ると、決勝でもフランスのマルク・アレクサンドルを判定で下して、アメリカの男子選手として世界大会で初めて優勝を果たした。翌年の1988年ソウルオリンピックでは3位決定戦でイギリスのケリス・ブラウンに効果で敗れて5位となったが、ブラウンがドーピング違反で失格となったことから3位に繰り上がることになった[2]。1989年の世界選手権では、決勝で古賀に背負投で効果を取られて敗れた。その後、1972年ミュンヘンオリンピックの軽重量級で3位となったブラジルの日系人であるチアキ・イシイ(石井千秋)の娘であり、61kg級の選手として活躍していたタニア・イシイ(石井千惠)と結婚すると、1992年バルセロナオリンピックには夫婦揃って出場するものの(タニア・イシイはブラジル代表として出場した)、ともに初戦で敗れた[3]1996年アトランタオリンピックではアメリカチームのコーチを務めた。

長男の名はMasato(真人)。義父のチアキ・イシイバニア・イシイ(石井幸恵)が生まれる前に男の子だと思って用意していた名前である。

主な戦績[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]