ポップ・スミス
| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1856年10月12日 |
| 没年月日 | 1927年4月18日(満70歳没) |
| 身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 170 lb =約77.1 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| 初出場 | 1880年5月1日 |
| 最終出場 | 1891年6月9日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 選出年 | 2005年 |
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この表について
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ポップ・スミス(Charles Marvin "Pop" Smith, 1856年10月12日 - 1927年4月18日)は、1880~1890年代に活躍した、アメリカ・メジャーリーグの選手。主なポジションは内野手。カナダ・ノバスコシア州生まれ。右投げ右打ち。カナダ出身者としてメジャーリーグで初めて著名な活躍をした選手。
目次 |
来歴・人物 [編集]
カナダで生まれたスミスの家族は、1870年代前半にカナダからボストンに移り住んだと考えられている。スミスは19歳だった1876年にニューヨークのビンガムトンにあった「クリケッツ」というチームでプロの選手としてプレーするようになり、当時からその機敏な守備と肩の良さで注目されていた。1880年にナショナルリーグのシンシナティ・レッズ(現球団とは別)に入団しメジャーリーグの選手となったが、1年目は二塁手リーグ最多の89のエラーを記録するという厳しいデビューだった。
1880年にレッズがナショナルリーグから除名された後、1881年から2年間は5球団を渡り歩き、1883年に所属したコロンバス・バックアイズでようやく内野のレギュラーとなる。ルーキー時代の守備の粗さは改善され、1884年から1886年にかけて守備範囲の広さを誇る内野手として知られるようになった。またコロンバス在籍時は打撃も好調で、1883年にリーグ最多の17本の三塁打を放ち、またチームがメジャーで活動した2年間では球団最多となる10本の本塁打も記録している。
コロンバス球団の解散後、パイレーツに1885年から1889年まで在籍するが、30歳を過ぎた1880年代後半からは徐々に守備力や打率も落ち始めていた。1889年にボストンに移籍したものの、この年と翌1890年の三振数とエラー数はいずれも2年続けてリーグ最多となった。1891年にはボストンから追われる形でワシントン・ステイツメンに移籍し、この年を最後にメジャーリーグから引退した。その後は5年ほどマイナーリーグで選手を続けていたが、その間所属したチームは実に10球団にもなった。1927年にボストンにて死去。2005年にカナダ野球殿堂入り選手に選出された。
通算成績 [編集]
打撃成績 [編集]
※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
| 試合 | 打数 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 得点 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 四球 | 死球 | 犠打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS (野球)OPS |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1112 | 4238 | 941 | 141 | 87 | 24 | 643 | 358 | 169* | 345* | 325 | 60* | - | .222 | .287 | .313 | .600 |
獲得タイトル・記録 [編集]
- リーグ最多補殺数(二塁手):2回(1884,1885年)
- リーグ最多刺殺数(二塁手):1回(1885年)
- 最高守備率(遊撃手):1886年
投手成績 [編集]
- 通算成績:3試合、投球回5.2、0勝0敗、被安打10、被本塁打0、奪三振0、自責点4、防御率6.35