ポチ (グルジア)

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グルジアの国土とポチ:地図中央左に位置するポチは黒海に面している。

ポチグルジア語: ფოთი; Poti)は、グルジア共和国西部サメグレロ州の都市。人口は47,149人 (2002年調査)。北緯42度09分 東経41度40分

黒海の東岸に位置し、黒海に面したグルジアの三つの港のうちの一つとなっている。この港からは、主にマンガントウモロコシ材木ワインなどが輸出される。ポチの近くではリオニ川が黒海に注いでいる。都市の周囲は森林や湿原であり、後背地を持たないが、同国有数の港湾都市として発達している。

また、ポチにはグルジア海軍の司令部と主要な基地がある。

歴史[編集]

ポントス王国の版図に含まれていた紀元前2世紀当時のファシス(現在のポチ)

アルゴナウタイの物語の中では、この都市の周辺がイアソン黄金の毛皮を求める旅の終着点であるとされる。ポチは紀元前7世紀の終わりごろから紀元前6世紀の初めごろに建設されたギリシアの植民都市「ファシス」に由来する。考古学者はポチ近郊のパリオストミ湖水面下において、当時の遺物を発見している。その後、ミトリダテス1世によりイラン系の人々の国家ポントス王国の支配下に、紀元2世紀にはローマ帝国に組み込まれた。 後にポチはトルコの要塞都市となり、1828年にはロシア領となった。

古い硬貨が発見されており、シルクロードの宿場として5世紀ごろにはインド中央アジア近東や地中海地方からの交易品の売買が盛んに行われていたことがわかる。

ロシア南部の地図(1882年) ポチ-トビリシ (Tiflis) 間の鉄道が二重線で示されている。縮尺1/610万

1872年、ポチと中心都市トビリシ(ティフリス)間にグルジア初の鉄道が開通して海港が設けられたのち、1880年代に都市が発展した。それ以前の1876年の人口は3,026人であった。

20世紀初頭、ポチはマンガン鉱石の輸出によって目覚しい発展を遂げることになる。グルジアは世界2位のマンガン輸出国であった。マンガンは重工業、製鉄業に当時必要であった金属である。 ソビエト時代には重要な海軍基地であった。

現代の情勢[編集]

黒海上を吹く風は一年を通じて西から東に吹いているため、ポチ周辺の黒海東端において、最も波が高くなる。このため、ポチ港の防波堤は海岸線と水平に1.8kmに渡って伸びている。 ポチ港には2万トン級のタンカーが接岸できる岸壁が複数存在する。

1990年代の景気低迷期を抜け出すとともに、ポチは更に経済的成長をとげた。 2002年には4百万トンの商品が取引され、2004年第一四半期の取引量は前年同期比42%増であった。カスピ海からの新しい石油パイプラインの計画もあり、ポチの経済の将来は明るい。

グルジアの港湾スフミバトゥミ、ポチはいずれも黒海に面しているが、北のスフミ(アブハジア自治共和国)と南のバトゥミ(アジャール自治共和国)はいずれもグルジア共和国からの分離独立運動が盛んである。したがって、ポチが唯一安定した港として利用できる。

ポチに拠点を置くグルジアの沿岸警備隊はアメリカ合衆国によって1億7500万米ドルかけて設立された。

ポチ港

姉妹都市[編集]

人口の推移[編集]

  • 1876年 - 3026人
  • 1970年 - 4万6000人
  • 1991年 - 5万1100人
  • 2002年 - 4万7149人(推定)

外部リンク[編集]