ポイント・バロー

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ポイント・バロー(バロー岬)
ヌヴク
—  アメリカ合衆国最北端  —
ポイント・バロー(バロー岬)の位置(アラスカ内)
ポイント・バロー(バロー岬)
ポイント・バロー(バロー岬)
アラスカ州内の位置
座標: 北緯71度23分20秒 西経156度28分45秒 / 北緯71.38889度 西経156.47917度 / 71.38889; -156.47917
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アラスカ州の旗 アラスカ州
ノーススロープ郡
等時帯 アラスカ標準時 (AKST) (UTC-9)
 - 夏時間 AKDT (UTC-8)

ポイント・バロー、ないし、バロー岬(バローみさき、Point Barrow)、あるいは、ヌヴク (Nuvuk) は、アメリカ合衆国アラスカ州北極海岸に位置する岬で、バローの集落から北東へおよそ9マイル(およそ14km)にある。当地はアメリカ合衆国最北端の地でありる(北緯71度23分20秒 西経156度28分45秒 / 北緯71.38889度 西経156.47917度 / 71.38889; -156.47917 (Point Barrow)座標: 北緯71度23分20秒 西経156度28分45秒 / 北緯71.38889度 西経156.47917度 / 71.38889; -156.47917 (Point Barrow))。北極点までの距離は1122海里(1,291マイル、2,078 km)である。ちなみに、カナダ領の北アメリカ大陸の最北端は、さらにおよそ40マイル(およそ64km)北に位置するマーチソン・プロモントリー (Murchison Promontory) である。

ポイント・バローは、重要なランドマークでもあり、北極海において、西側のチュクチ海と東側のボーフォート海の境界となっており、これより北側は(北極点まで境界の目標となるものはなく)地図の縁で区切られるばかりである。

考古学的な証拠によれば、ポイント・バローには、先住民イヌピアトの先祖にあたる人々が、ヨーロッパ人の到着よりも千年ほど前から住んでいたとされる。岬は重要な考古学調査の現場となっており、ウルボーラなど、トゥーリー文化 (Thule culture) と結びつけられる埋葬地の跡や遺物が発見されている。岬の沖合の海域は、ホッキョククジラの回遊ルートの一部となっており、当地に集落が形成されたのは、鯨漁をやり易くするためであったものと推測されている[1]。近傍のバーナーク・サイト (Birnirk Site) には1912年に当地で発掘調査を行ったヴィルヤルマー・ステファンソン (Vilhjalmur Stefansson) によって確認された墳丘墓があり、初期のバーナーク文化 (Birnirk culture) と結びつけられている[2]

ウィルキンス=デトロイト北極遠征

この岬の名付けは、1826年イングランドの探検家フレデリック・ウィリアム・ビーチー (Frederick William Beechey) が行なったもので、由来となったのは、政治家で、イギリス海軍本部所属の地理学者であったサージョン・バロー (Sir John Barrow) であった。岬周辺の海は、(現在では)通常は年に2-3ヵ月の着氷しない時期があるが、初期の探検家たちの時代にはそういうことはなかった。ビーチーは船では当地へ到達できず、本船からボートを出して先へ進んだ。1826年にはジョン・フランクリンが東側から当地へ到達しようと試みたが、行手を氷に阻まれた。1837年には、東側から進んだトマス・シンプソンが、ボートの前進が氷に阻まれた地点から、徒歩でおよそ50マイル(およそ80km)を西へ進に、ポイント・バローに到達した。1849年にはウィリアム・プレン (William Pullen) が2隻の捕鯨船で岬にたどり着いたが、これは、氷のためにその手前でより大きな2隻の船を西へ帰した上でのことであった。

ウィルキンス=デトロイト北極遠征隊 (Wilkins-Detroit Arctic Expedition) をはじめ、北極点をめざす北極探検家の多くが、ポイント・バローを出発点に選び、1928年4月15日にはカール・イールソンヒューバート・ウィルキンス (Hubert Wilkins) が、ポイント・バローを発って北極海を横断し、スピッツベルゲン島までの飛行に成功した。

1935年8月15日に飛行機墜落事故で、操縦士ウィリー・ポストと、乗客の芸人ウィル・ロジャースが事故死した場所であるロジャース・ポスト・サイト (Rogers-Post Site) は、この岬の近くである。

1965年から1972年まで、当地は、観測ロケットナイキ・ケイジャン」と「ナイキ・アパッチ」の発射地として使用された。また、全球大気監視計画の待機観測局が置かれている。

「ポント・バローの鯨 (Point Barrow whales)」と称されるのは、1988年にポイント・バローで、氷に閉じ込められてしまい、全米から注目を集めた鯨たちである[3]

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ポイント・バローの先端部を捉えたパノラマ画像。

脚注[編集]

  1. ^ BBC NEWS - Bodies point to Alaska's past
  2. ^ Archaeology of Prehistoric Native America By Guy E. Gibbon, Kenneth M. Ames
  3. ^ Mauer, Richard (1988年10月18日). “Unlikely Allies Rush to Free 3 Whales”. New York Times. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=940DE4DF153DF93BA25753C1A96E948260 2008年6月12日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]