ボードゥアン1世 (エルサレム王)

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エデッサ入城するボードゥアン
戴冠するボードゥアン

ボードゥアン1世(Baudouin I, 1065年頃 - 1118年4月2日)は、第1回十字軍の指導者の一人。初代エデッサ伯となり、後に初代エルサレム(在位:1100年 - 1118年)となった。

ボードゥアンはブローニュ伯ウスタシュ2世の三男で、僧籍に入る教育を受けていたが途中で還俗し、次兄の下ロートリンゲン公ゴドフロワの下でヴェルダン伯となる。

第1回十字軍時には兄のウスタシュ3世、ゴドフロワ、ユーグ、従兄弟のボードゥアン・ド・ブールと共に参加した。ハンガリーでは、部隊の安全な通過のためにボードゥアンが人質としてハンガリー王の元に留められた。コンスタンチノープルでは、逆に東ローマ皇帝の息子(後のヨハネス2世コムネノス)を人質として預かったときに、ボードゥアンがその対応を行った。東ローマ側から十字軍を記録した皇女アンナ・コムネナの手記によると、「配下の兵士が皇帝の玉座に対して無礼な働きを行ったとき、それを咎めた」とされ、礼儀と規律に厳しかったことがうかがえる。

小アジアで他の十字軍から分かれ、同様に領土を欲するノルマン人タンクレッドボヘモンの甥、後にアンティオキア公国摂政)と共にキリキアへ向かったが、途中でタンクレッドと争うようになり、タンクレッドはアンティオキアに戻った。一方、ボードゥアンはエデッサの領主ソロスに誘われて、その後継者となり、まもなくソロスが暴動で殺されると替わってエデッサを支配した(エデッサ伯国参照)。

1100年に「聖墳墓の守護者」だった兄のゴドフロワが死んだ時、ボードゥアンはエデッサ伯国をボードゥアン・ド・ブールに譲り、エルサレムに入ってエルサレム王ボードゥアン1世となった。

エルサレム総司教だったダゴベルトは、エルサレムを教皇領とすることを望み、これに反対したが、エルサレムではなくベツレヘムで戴冠することで妥協した。

1101年の十字軍ではラマラで大敗したが、その後アッコンラマラトリポリシドンベイルートなど領土を広げた。1118年にエジプト遠征中に食中毒により亡くなった。ボードゥアン1世は3回結婚しているが子供はなく、エデッサ伯を継いでいたボードゥアン・ド・ブールが第2代エルサレム王ボードゥアン2世となった。