ボブ・ウェルチ (野球)

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ボブ・ウェルチ
Bob Welch
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国 ミシガン州デトロイト
生年月日 1956年11月3日(55歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5cm
190 lb =約86.2kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1977年 ドラフト1巡目
初出場 1978年6月20日
最終出場 1994年8月11日
経歴(括弧内は在籍年)

ボブ・ウェルチRobert Lynn "Bob" Welch , 1956年11月3日 - )はアメリカメジャーリーグで活躍した投手。右投右打。 アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身。速球が持ち味の本格派投手。

目次

[編集] 人物・来歴

東ミシガン大学出身。1978年6月20日ロサンゼルス・ドジャースでメジャー初登板を果たす。 この年ドジャースはリーグ優勝し、ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズに進出。 このシリーズではリリーフでの起用となったが、第2戦では1点リードの9回に登板。 レジー・ジャクソンから三振を奪ってセーブを記録した。 しかし、ドジャースの2勝3敗で迎えた第6戦では、2-5とリードを許した7回にジャクソンにダメ押しの2ランホームランを浴び、きっちりリベンジを果たされている。 翌1979年までは先発・リリーフ両方で起用されたが、先発に定着した1980年に14勝をあげ、初のオールスター出場を果たす。5月29日アトランタ・ブレーブス戦では、1安打を喫したものもダブルプレイで退け、四死球0、味方のエラー0、残塁0の「準完全試合」を記録。 以後、ストライキでシーズンが中断された1981年と不振の1986年を除いて、1992年まで毎年10勝以上をあげる。 1981年はチームがワールドシリーズに進出。第4戦に先発(勝敗はつかず)。 チームはヤンキースを下してワールドチャンピオンとなり、1977年、1978年の雪辱を果たした。

ドジャース時代はフェルナンド・バレンズエラオーレル・ハーシュハイザーらと強力な三本柱を形成。 15勝をあげた1987年オフに、ジェイ・ハウエルアルフレッド・グリフィンらとの交換トレードオークランド・アスレチックスに移籍。 ウェルチも移籍初年度の1988年は17勝をあげ、ウェルチと一緒にアスレチックスに移籍したリック・ハニカットセットアッパーとして活躍し、チームの地区優勝・リーグ優勝に貢献。 入れ替わりにドジャースに移籍したハウエルは21セーブをあげ、グリフィンはショートを中心に貴重なバイプレイヤーとして活躍。 両チームにとって成功したトレードとなり、この年のワールドシリーズはこの両チームによって争われることとなり、ドジャースが勝った。

1989年も17勝(8敗)をあげ、この年はデーブ・スチュワート(21勝9敗)、マイク・ムーア(19勝11敗)、ストーム・デービス(19勝7敗)と強力カルテットを形成。クローザーにもデニス・エカーズリーが控えていた。 打線もマーク・マグワイアホセ・カンセコデーブ・パーカーリッキー・ヘンダーソン(途中移籍)ら強力打線で、地区優勝、リーグ優勝を果たしサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズに進出する。 このシリーズでは先発予定の第3戦(10月17日)の開始前にサンフランシスコ一帯を大地震が襲い、第3戦以後は延期となってしまった。 10日後、10月27日に行われた第3戦では、第1戦で完封勝利を収めたスチュワートが先発。第4戦も第2戦で先発したムーアが先発し、4連勝を収めたため、ウェルチとデービスは出番がないままワールドチャンピオンとなった。

1990年はベストシーズンとなった。リーグ最多の35試合に先発して27勝6敗という驚異的な成績を収め、サイ・ヤング賞に選ばれた。また、この年10年ぶりにオールスターに出場。 27勝は1968年スティーブ・カールトンフィラデルフィア・フィリーズ)以来22年ぶりで、25勝投手も1980年のスティーブ・ストーン(当時オリオールズ)の25勝以来、10年ぶりであった。以後2011年終了時点で25勝以上をあげる投手は現れていない。

チームは三年連続でワールドシリーズに進出するが、シンシナティ・レッズに1勝もできずに敗れる。 ウェルチは第2戦に先発(勝敗はつかず)。

1991年には一時アルコール依存症に陥り、その模様を記した「ファイブ・オクロック・カムズ・アーリー(Five O'Clock Comes Early: A Cy Young Award-Winner Recounts His Greatest Victory)」というタイトルの本出版した(ニューヨーク・タイムズのスポーツ・コラムニストGeorge Vecseyとの共著)。

以後は下降線をたどり、3勝に終わった1994年限りで現役を引退。 現役引退後はコーチとなり、2001年にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスの投手コーチとしてワールドチャンピオンを経験。 2006年に行われたワールド・ベースボール・クラシックではオランダ代表の投手コーチを務めた。

[編集] 受賞歴・記録

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1978 LAD 23 13 4 3 1 7 4 3 -- .636 439 111.1 92 6 26 2 1 66 2 2 28 25 2.02 1.06
1979 25 12 1 0 0 5 6 5 -- .455 349 81.1 82 7 32 4 3 64 0 0 42 36 3.98 1.40
1980 32 32 3 2 1 14 9 0 -- .609 889 213.2 190 15 79 6 3 141 7 5 85 78 3.29 1.26
1981 23 23 2 1 1 9 5 0 -- .643 601 141.1 141 11 41 0 3 88 2 0 56 54 3.44 1.29
1982 36 36 9 3 0 16 11 0 -- .593 965 235.2 199 19 81 5 5 176 5 1 94 88 3.36 1.19
1983 31 31 4 3 0 15 12 0 -- .556 828 204.0 164 13 72 4 3 156 4 6 73 60 2.65 1.16
1984 31 29 3 1 1 13 13 0 -- .500 771 178.2 191 11 58 7 2 126 4 2 86 75 3.78 1.39
1985 23 23 8 3 1 14 4 0 -- .778 675 167.1 141 16 35 2 6 96 7 4 49 43 2.31 1.05
1986 33 33 7 3 1 7 13 0 -- .350 981 235.2 227 14 55 6 7 183 2 1 95 86 3.28 1.20
1987 35 35 6 4 0 15 9 0 -- .625 1027 251.2 204 21 86 6 4 196 4 4 94 90 3.22 1.15
1988 OAK 36 36 4 2 0 17 9 0 -- .654 1034 244.2 237 22 81 1 10 158 3 13 107 99 3.64 1.30
1989 33 33 1 0 0 17 8 0 -- .680 884 209.2 191 13 78 3 6 137 5 0 82 70 3.00 1.28
1990 35 35 2 2 1 27 6 0 -- .818 979 238.0 214 26 77 4 5 127 2 2 90 78 2.95 1.22
1991 35 35 7 1 0 12 13 0 -- .480 950 220.0 220 25 91 3 11 101 3 2 124 112 4.58 1.41
1992 20 20 0 0 0 11 7 0 -- .611 513 123.2 114 13 43 0 2 47 1 0 47 45 3.27 1.27
1993 30 28 0 0 0 9 11 0 -- .450 746 166.2 208 25 56 5 7 63 1 0 102 98 5.29 1.58
1994 25 8 0 0 0 3 6 0 -- .333 325 68.2 79 10 43 2 1 44 3 3 56 54 7.08 1.78
通算:17年 506 462 61 28 7 211 146 8 -- .591 12956 3092.0 2894 267 1034 60 79 1969 55 45 1310 1191 3.47 1.27
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 外部リンク

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