ボスラ
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シタデル・ローマ劇場
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| 英名 | Ancient City of Bosra | ||
| 仏名 | Ancienne ville de Bosra | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | (i) (iii) (vi) | ||
| 登録年 | 1980年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
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| 使用方法・表示 | |||
ボスラ(アラビア語: بصرى、英語:Bostra, Busrana, Bozrah, Bozra, Busra Eski Şam, Busra ash-Sham, Nova Trajana Bostra )は、シリアの南部の都市ボスラに残る歴史的構造物が登録されたユネスコの世界遺産(文化遺産)。
目次 |
概要 [編集]
ボスラは、シリアの首都ダマスカスの南約150km、ヨルダンの国境近くにある都市。ビサンティン様式の建物が数多く残る。建造物は、玄武岩で作られている。このため構造物が全体的に黒茶であることも印象的。
代表的な構造物は、シタデル・ローマ劇場。現在でも演奏会等で使われている。音響的にも優れているとの評価を受けている。ほかにはローマ浴場、ビザンティン建築の大聖堂跡など。
歴史 [編集]
この都市についての最古の記録は、古代エジプトのトトメス3世とアメンホテプ4世(紀元前14世紀)の時代に遡る。ボスラは紀元前2世紀、ナバテア王国の最初の都市となった。しかし106年、ローマ帝国のトラヤヌス帝の配下の武将コルネリウス・パルマがこの地域を征服した。
ローマ帝国支配下でボスラはノヴァ・トラヤナ・ボストラ(Nova Trajana Bostra)と改名され、ローマ第3軍団キュレナイカが駐屯しアラビア属州の州都となった。紅海へ向かうローマ街道・トラヤヌス街道(Via Nova Traiana)など多くの交易路が交わるボスラは大都会として繁栄した。帝国の東西分裂後、ビザンティン帝国の時代にもボスラにはバシリカなど大きな建築物が次々建てられた。隊商の一員としてシリアを旅していた若き日のムハンマドはボスラを訪れ、アッシリア東方教会の修道士バヒラからムハンマドが将来預言者となることを告げられている。
7世紀、正統カリフを頂くアラブ人のイスラム国家がシリアに向かって進撃した。634年、ハーリド・イブン=アル=ワリード指揮下の軍団はボスラの戦いでビザンティン帝国を破り、ボスラを支配下に置いた。イスラム教時代のボスラ(ブスラ Busra)にはモスクなどが建築された。当時の出身者には高名な神学者イブン・カティール(Ibn Kathir、1301年 - 1373年)がいる。
12世紀頃、十字軍の攻撃に備え要塞化される。その後、ボスラは幹線道路から外れ、衰退の一途をたどり、廃墟と化した。
今日ではボスラはローマ、ビザンティン、イスラムの諸様式を残した都市遺跡として多くの観光客を集めている。
主な構造物 [編集]
- ローマ劇場
- シタデル(城塞)、その他
登録基準 [編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
- (vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
関連項目 [編集]
外部サイト [編集]
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シリアの世界遺産 World Heritage Sites in Syria |
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