ホーレス・メイナード

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ホーレス・メイナード

ホーレス・メイナード(Horace Maynard, 1814年8月30日 - 1882年3月3日)は、アメリカ合衆国政治家テネシー州検事総長、連邦下院議員、および郵政長官を務めた。

生い立ち[編集]

1814年8月30日、メイナードはマサチューセッツ州ウェストバーロウにおいて、エフライム・メイナード (Ephraim Maynard, 1783-1864) とダイアナ・コグズウェル (Diana Cogswell, 1793-1876) の第1子として誕生した。メイナードは地元の公立学校で教育を受け、1838年アマースト大学を卒業した。

大学教授から政治家へ[編集]

メイナードは大学卒業後、テネシー州ノックスヴィルへ移り住んだ。1839年、メイナードは東テネシー大学(現在のテネシー大学)に講師として採用され、翌1840年数学博物学の教授となった。メイナードは1844年まで教授を務めた。

またメイナードは法律を学び、1844年に司法試験に合格した。メイナードは1845年にノックスヴィルで法律事務所を開設し、1857年まで弁護士として活動した。またメイナードは1852年大統領選挙ホイッグ党の大統領選挙人を務めた。

1856年、メイナードは連邦下院議員に立候補した。メイナードはホイッグ党ノーナッシング党反対党、および連邦主義を掲げる諸政党の支持を受け、当選を果たした。メイナードは1857年から1862年まで3期6年連続で連邦下院議員を務めた。

テネシー州での政治[編集]

下院議員退任後、メイナードはノックスヴィルへ戻り、共和党に参加した。メイナードは1862年秋からアンブローズ・バーンサイド将軍の下で従事したが、メイナードの資産は没収され、メイナードの家族はテネシー州東部へ追いやられた。その後メイナードは北軍政府下のテネシー州知事アンドリュー・ジョンソンを補佐し、1864年から1865年までテネシー州検事総長を務めた。また1864年大統領選挙で共和党の選挙人も務めた。

1865年、メイナードは共和党員として合衆国下院議員に復帰した。メイナードは1866年7月29日に着任し、その後1875年まで5期10年、合衆国下院議員を務めた。第43議会で下院銀行通貨委員会の委員長を務めた。またメイナードは1867年に境界州会議の議長を務めた。

アメリカ合衆国郵政長官[編集]

メイナードは1874年に共和党からテネシー州知事に立候補したが、敗北した。メイナードはその後1875年から1880年まで在トルコの合衆国公使を務めた。そして1880年6月ラザフォード・ヘイズ大統領から郵政長官に任ぜられ、ヘイズ大統領の任期満了となる1881年3月まで郵政長官を務めた。

晩年[編集]

1882年3月3日、メイナードはテネシー州ノックスヴィルで死去した。メイナードの遺体はオールドグレイ墓地に埋葬された。

家族[編集]

メイナードは1840年バーモント州ロイヤルトンでローラ・アン・ウォッシュバーン (Laura Ann Washburn, 1813-1880) と結婚した。2人の間には以下の子供が生まれた。

  • エドワード・メイナード (Edward Maynard, 1843-1868)
  • ウォッシュバーン・メイナード (Washburn Maynard, 1844-????)
  • エレノア・メイナード (Eleanor Maynard, 1846-1846)
  • エフライム・メイナード (Ephraim Maynard, 1848-1850)
  • ローラ・メイナード (Laura Maynard, 1850-1852)
  • ジェイムズ・メイナード (James Maynard, 1852-1883)
  • アン・メイナード (Anne Maynard, 1854-????)

外部リンク[編集]

公職
先代:
????
テネシー州検事総長
1864年 - 1865年
次代:
????
先代:
デイヴィッド・マッケンドリー・キー
アメリカ合衆国郵政長官
1880年6月2日 - 1881年3月4日
次代:
トマス・レミュエル・ジェイムズ
外交職
先代:
ジョージ・ボーカー
在オスマン帝国アメリカ合衆国弁理公使
1875年6月12日 - 1880年7月15日
次代:
ジェイムズ・ロングストリート