ホージャ

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ホージャカザフ語: Қожа, Khoja)は、ペルシア語で主人を意味し、中央アジアイスラム神秘主義教団のひとつナクシュバンディー教団の著名な指導者アフマド・カサーニー(1461年 - 1542年)の子孫の称号である。

カサーニー自身は東トルキスタンを訪れることはなかったが、彼の子孫は東トルキスタンのウイグル人の間で指導者としての役割を熱望され、ホージャとして17世紀から19世紀にかけての地域の政治に大きな役割を果たした。

イスハーキーヤ(黒山党)[編集]

ナクシュバンディー教団の指導者であったアフマド・カサーニーの次男のムハンマド・イスハーク・ワリー(?-1599)はサマルカンドからカシュガル、ホタン、アクス、クチャに滞在し、1599年にサマルカンドに帰還した[1]。彼の系統は、カシュガル・ホージャ家イスハーキーヤまたはカラタグルク、黒山党[2]と呼ばれた。イスハーキーヤはヤルカンドに大きな影響力を持った。

アーファーキーヤ(白山党)[編集]

ホージャの別の系統はアフマド・カサーニーの長男のイーシャーニ・カラーン[3](ムハンマド・アミーン)のものであった。

最初に東トルキスタンを訪れたのはムハンマド・アミーンの子のホージャ・ユースフ(?-1652/53)であった。ホージャ・ユースフの子がホージャ・アファークとして知られるダーヤット・アッラーであった[4]。この系統は、アーファーキーヤまたはイーシャーニーヤまたはアクタグルク(白山党)と呼ばれた[4]

白山党は、黒山党(イスハーキーヤ)との抗争に敗北し、東トルキスタンを追放され、1671年から1672年にかけて西寧に移り[4]、そこで布教に成功し、おおくの中国ムスリム信徒(回民)を獲得した[4]

白山党の一派にアーファーク統がある[5]

アファーキーの人物[編集]

史料[編集]

ヤーリング写本[編集]

スウェーデンのルンド大学図書館には、グンナ ・ヤーリング(Gunnar Jarring)の中央アジア、とりわけ東トルキスタンに関するコレクションがある[6]。このうちProv.219番写本((LundsUniversitetsbiblioteket,Gunnar Jarring Collection,Handskriftsavt,Prov.219.)には、カーシュガル・ホージャ家アーファークに関する系図などの記録が残されている。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 小松2000,p303
  2. ^ 小松2000,p303
  3. ^ 新免康・菅原純:2002.
  4. ^ a b c d 小松2000,p304
  5. ^ 新免康・菅原純:2002.
  6. ^ 新免康・菅原純,2002.

関連項目[編集]