ホーカー・エアクラフト

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Hawker Aircraft
業種 航空機
行方 ホーカー・シドレーへ吸収合併
後継 ホーカー・シドレー
設立 1920年 (H.G. ホーカー・エンジニアリング)
解散 1963年
本部 キングストン; ラングレー; ダンスフォールド; ブラックプール, イギリス
代表者等 ハリー・ホーカー, トーマス・ソッピース, シドニー・カム
子会社 グロスター・エアクラフト (1934)
第二次世界大戦中に世界中で活躍した戦闘機ハリケーン

ホーカー・エアクラフト(Hawker Aircraft Limited)は、かつてイギリスにおいて有名な航空機を送り出した航空機メーカー。1920年代末の機体のホーカー・ハートから、1950年代のジェット戦闘機ホーカー ハンターまでシドニー・カムが機体の設計を行った。有名な機体はホーカー ハリケーンで、スーパーマリン社製のスピットファイアとともにバトル・オブ・ブリテンを戦った。

社史[編集]

初期[編集]

ホーカー・エアクラフトは第一次世界大戦終結の余波を受け、ソッピース・アビエーションが倒産したことに始まる。ソッピースでテストパイロットをやっていたハリー・ホーカーとソッピース・アビエーションの創始者であるトーマス・ソッピースは、1920年にH.G. ホーカー・エンジニアリング (H.G. Hawker Engineering) を新たに立ち上げた。

1933年、H.G. ホーカー・エンジニアリングはホーカー・エアクラフトへと社名を変更し、良好な経営状態と大恐慌を利用してグロスター・エアクラフトの買収に成功した。その翌年にはアームストロング・シドレーアブロを傘下に収め、アームストロング・シドレーの子会社であるアームストロング・ホイットワース・エアクラフトを吸収合併し、社名はホーカー・シドレー・エアクラフト (Hawker Siddeley Aircraft) となった。

部門化/ブランド化[編集]

ホーカー・エアクラフトはホーカー・シドレーの一部門として第二次世界大戦前後も航空機の設計を行い、ホーカー・アビエーション (Hawker Aviation) と呼ばれた。1963年に自社の名前で商標登録することを禁じられるまでホーカーのブランドで販売と製造がなされていた。最後の完成した機種はホーカー ハンターで、最後に設計されたのは試作機のホーカー P.1127であった。

ホーカー・シドレーは後にブリティッシュエアクラフトコーポレーションと合併し、ブリティッシュ・エアロスペースとなる。ブリティッシュ・エアロスペースはレイセオンにホーカーの商標権とビジネスジェットの製品ラインを売却し、レイセオン・エアクラフトビーチクラフトが三菱から買い取ったビーチジェット 400にホーカーの名称を使用した。

製品[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]