ホンダポイント遭難事件

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現場南部区域の鳥瞰写真(敷設艦兼水上機母艦アルーストック搭載機から撮影)。写っている艦はデルファイ(左の小さな入江で転覆)、ヤング(中央左で転覆)、チョウンシー(ヤングの前方に正立して座礁)、ウッドバリー(中央右の岩礁に乗り上げ)、フラー(岩礁の右に乗り上げ)。

ホンダポイント遭難事件(ホンダポイントそうなんじけん、Honda Point Disaster)とは、アメリカ海軍にとって、平時に起きたものとしては最大の損失事故である。

1923年9月8日の21時過ぎ、20ノットで航行していた14隻の駆逐艦のうち7隻が、位置測定の誤りによりホンダポイント(サンタバーバラ海峡北口から3~4kmのカリフォルニア沿岸)で次々に座礁した。他に2隻が乗り上げたが、自力で岩礁から離脱した。23名の乗員がこの事故で死亡した。

ホンダポイントの地理[編集]

ホンダポイント(またはペダーナルズポイント)周辺は、中部カリフォルニアの船乗りたちとって極めて危険な場所であった。およそ400mにわたって「悪魔の顎」と呼ばれる一連の岩礁(その一つは今日、「駆逐艦岩(Destroyer Rock)」と呼ばれている。)が断続的に露頭しており、1500年代に初めてスペインの探検隊が訪れた時から既に航海の難所とされていた。しかし一方で、大陸岸とチャンネル諸島の間、幅20~40kmほどのサンタバーバラ海峡への入口でもあった。この海峡は南カリフォルニアの諸港を行き来する船が近道としてよく利用していたが、時には危険な場所となった。

海峡を通り抜けようとする船乗りにとって問題となるのは、ここが西海岸において最も風の強い場所の一つであるということだった。危険なほどの風や波によって、通過船がサンミゲル島の小さな港に避難しなければならないことも多く、波高6~9m以上にもおよぶ波のためにサンタバーバラヴェントゥーラポートワイニーミオックスナードの諸港が一時的に閉鎖されることもしばしばであった。海峡入口の地形は、太平洋の嵐のうねりを海峡に吸い込む渦のように作用している。最も危険な地域はペダーナルズポイントの東から、南に面した荒れ果てた海岸(その多くは現在、ロケット発射場のあるヴァンデンバーグ空軍基地の一部をなしている)に沿い、サンタイネスヴァレーから下る国道101号線が海岸に出会うガビオタクリークに至るまでの範囲である。そこでは、船は陸に向かって吹きつけられ、あるいは夏の中部カリフォルニア沿岸で頻繁に発生する濃霧に包まれる。そして自らの位置を見失った船は簡単に座礁してしまう。

遭難事件[編集]

1923年の晩夏、第11駆逐艦戦隊(DESRON 11)の14隻の駆逐艦はサンフランシスコ湾からサンディエゴ湾まで、針路を南に取って進んでいた。戦隊を率いるのは旗艦デルファイを指揮するエドワード・H・ワトソン先任艦長で、戦隊を構成するのはすべて艦齢5年以内のクレムソン級駆逐艦だった。戦隊は21時、東に転針して95度の進路を取り、おそらくサンタバーバラ海峡に向かおうとしたと考えられている。

戦隊はこのとき、進行方向とスクリューの回転数から計算される速度によって位置を推定する推測航法で航行していた。当時、無線による航法支援はまだ出来たばかりで、完全に信頼できるものではなかった。デルファイは無線航法受信機を装備していたが、その指示は誤りであるとして無視された。また、深度を測定するいかなる試みも行われなかった。測深を行うには、数値を読み取るために減速しなければならなかったからである。戦隊は戦時を想定した訓練を行っており、減速はしないことと決めていた。しかしこのとき推測航法は間違っており、それが致命的な結果を招いた。

同じ日の早い時刻、郵便船キューバが近くで座礁していた。サンタバーバラ海峡で連続して起きた座礁事故について、前の週(9月1日)に起きた関東大震災に因って海流が変わったせいではないかと考える者もあった。

遭難艦[編集]

S・P・リー(DD-310)
喪失
  • デルファイ(DD-261) - 艦列の先頭。20ノットで岸に乗り上げた。座礁後にデルファイが鳴らした警笛によって、後続艦のいくつかは難を免れることができた。3名死亡。デルファイには民間人が1名(国務省の日本専門家ユージン・ドーマン)、ワトソン艦長に招待されて便乗していた。彼らは日本で知り合った。
  • S・P・リー(DD-310) - デルファイの後ろ200~300mを航行。デルファイが停止したのを見て左舷に変針し、自らも海岸に乗り上げてしまった。
  • ヤング(DD-312) - 変針せず。暗礁によって船殻を破られ、浸水のために数分のうちに右舷側に転覆。乗員20名死亡。
  • ウッドバリー(DD-309) - 右舷に変針したが、沖側の岩礁に乗り上げる。
  • ニコラス(DD-311) - 左舷に変針し、露頭に衝突。
  • フラー(DD-297) - ウッドバリーに追突。
  • チョウンシー(DD-296) - 転覆したヤングの船体上の乗員を救助しようとして座礁。
小破
  • ファラガット(DD-300) - いったんは座礁したが、自ら離礁することができ、喪失を免れた。
  • サマーズ(DD-301) - 小破。
以下の5隻は座礁を免れた

軍法会議[編集]

E・H・ワトソン艦長(1915年、中佐当時)

海軍の軍法会議は最終的に、原因はワトソン艦長と航法士らの失策であると結論付けた。しかし軍法会議はまた、たとえ艦隊運動の一部を構成している場合であっても、艦についての最終責任はその艦長にあるという海軍の伝統にのっとり、各艦の艦長にも責任ありとした。

現在のホンダポイント[編集]

ホンダポイント(ペダーナルズポイントとも呼ばれる)はロンポック(Lompoc)の郊外に位置し、現在ではヴァンデンバーグ空軍基地の一部となっている。現地には記念碑が置かれている。

参考資料[編集]

  • Anthony Preston Destroyers (1998)
  • Elwyn Overshiner Course 095 To Eternity (1980)
  • Charles Hice The Last Hours Of Seven Four-Stackers (1967)
  • Charles A. Lockwood Tragedy At Honda (1960)

外部リンク[編集]