ホワイト・ラブ (映画)

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ホワイト・ラブ
-White Love-
監督 小谷承靖
脚本 藤田敏八
小林竜雄
原案 中川美知子
製作 堀威夫
笹井英男
出演者 山口百恵
三浦友和
音楽 広瀬健次郎
撮影 萩原憲治
編集 井上治
配給 東宝
公開 日本の旗 1979年8月4日
上映時間 110分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
スペイン語
配給収入 8億6000万円[1][2][3]
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ホワイト・ラブ -White Love-』は、1979年製作の日本映画東宝配給。山口百恵三浦友和の主演コンビ10作目を記念した作品である。監督は小谷承靖。それを記念して、ストーリーを一般から公募[4]。中川美知子によるものに決定したが[4]、使用したのは映画のタイトルだけで[4]、脚本は監督の小谷と藤田敏八小林竜雄の3人が、1ヶ月目黒の雅叙園に籠って書いたオリジナル[4]。脚本クレジットは藤田敏八と小林竜雄の2人とされることが多いが、小谷は「パキ(藤田敏八)は朝起きてパラパラと目を通すだけで、一行も書いてない」と述べている[4]

モモトモコンビとしては前年の『ふりむけば愛』以来となる2度目の日本国外ロケスペイン)を敢行した。公開時のキャッチコピーは、「愛は、いつもバラ色に染まりながらいくつもの涙と混ざりあっていつか、白くかわってゆく――」である[5]

8億6000万円の配給収入を記録、1979年(昭和54年)の邦画配給収入ランキングの第10位となった[1][2][3]

あらすじ[編集]

映画製作現場のスタイリストとして働く忍は、仕事の傍らスペイン語を学んでいた。ひょんなことからそのスペイン語学校で、臨時講師として働いていた健と出会う。2人は意気投合し、恋に落ちる。忍には美容室を営む母・りつ子とすでに結婚している姉・典子がいた。父・圭介は既に死んだと知らされて育てられていたが、圭介の友人である山下から、今は圭介はスペインの片田舎・セゴビアで生きていることを聞き、父に会いにスペインに行くためにスペイン語を学んでいた。圭介は年老いて弱気になったのか、日本に帰ってきてみんなと住みたい、と言っている、と山下から聞くものの、日本では会いたくない、自分ひとりで会いに行く、と山下に伝える。一方で、健は一見学生やニート風に見受けられるような身なりをしていたが、元々は外大出の商社のエリートサラリーマンで、スペインへ海外赴任をしていたが、サラリーマンを辞めて日本に戻ってきていたのだ。ある時、忍は健の部屋で、健と女性が映った写真を目にする。「もう終わったことだ」と説明する健だが、忍の心の中のわだかまりは消えなかった。

そんな時、山下から圭介が危篤であると知らされ、忍は山下とスペインへ発つ。健は忍が出発した後、忍の健への愛情を痛感し、忍を追いかけてスペインへ発った。ところが、マドリードに着いた途端に山下が体調を崩してしまい、忍は足止めを食ってしまう。そんな時、マドリード市内の市場で忍は偶然、健の部屋でみた写真に写っていた女性・多恵子を見かける。多恵子には健と呼ぶ幼子がいた。忍の心は乱れる。そんな中、健は忍より先にセゴビアの圭介の家に到着する。数日後、全快した山下と忍はようやくセゴビアの実父の家を訪ねる。そこには脳卒中の後遺症に苦しむ父がいた。その病床には1人の女性の写真が飾られていた。実は父は20年前、その写真の女性と恋に落ち、妻子を捨てて駆け落ちをしていたのだ。その女性は数年前にマジョルカ島で既に亡くなっていた。しかもその女性は父の友人の山下の実の妹であった。当時の様子を語る山下、自分の心情を語り、忍に懺悔する父。弱弱しい父をみているうちに忍は父を許した。

山下は亡き妹を弔うためにマジョルカ島へと向かう。健と忍はマドリードへと戻る。その車内で、多恵子をマドリードでみかけた、と忍は健に話す。自宅を訪れるが多恵子は居なかった。隣人から、多恵子がパンプローナで行われているサンフェルミンの祭りに向かったことを知った2人は、一路サンフェルミンを目指す。その車内で、健は多恵子とのことを忍に話す。多恵子と昔恋人同士であったこと、その多恵子が上司である支社長に強姦され、挙句に妊娠してしまったこと、を話す。支社長か健か、どちらの子供かわからないまま生ませることはできないと健は判断し、堕胎が禁じられているスペインからフランス行きの列車に乗り込んだ。その列車の中で突如多恵子は健の目の前から姿を消した。それから2ヶ月間、健は多恵子を懸命に探したが見つからず、失意のうちに会社を辞め、帰国していたのだった。祭りの最中、健は多恵子を見つける。多恵子は健に姿を消した理由を語り始める。多恵子は子供を産みたかったのだ。しかし健は「俺の子供に賭けてみるから産んでくれ」とは言わなかった。だから産めば別れるしかない、と思ったのだった。多恵子は子供の父親が健であることに賭けたのだが、その子供は健の子供ではなかったのだった。そしてそれに絶望しつつも、子供に「健」という名前をつけることでなんとか今まで生き、そしてその子供を育ててこられたのだ、と告白する。

多恵子の告白を聞き、いたたまれなくなってその場を飛び出す忍。忍を追いかけるよう健に諭す多恵子。ちょうどその時、号砲とともに市内に多数の牛が放たれた。その牛の群れに追いつかれそうになる忍を健はなんとか守った。しかしその時、多恵子は不運な事故で転落死してしまっていた。孤児となった子供を連れて、実の父親であるマドリード支社長のもとへ乗り込んでいく健と忍。多恵子が死んだことを告げ、子供を引き取るように迫るが、支社長の態度は煮え切らない。それを見た忍はその子供を健と2人で育てよう、と決意する。多恵子の野辺の送りを見届けた2人は、多恵子の子供を伴い、帰国の途につくのであった。

キャスト[編集]

  • 上村忍(かみむらしのぶ)(スタイリスト・スペイン語学校の受講生):山口百恵
  • 山野辺健(やまのべけん)(スペイン語学校の講師):三浦友和
  • 山下洋一郎:北村和夫
  • 野川多恵子:范文雀
  • 上村圭介(忍の父):小林桂樹(特別出演)
  • 上村律子(忍の母):岩崎加根子
  • 竹内典子(忍の姉):永島暎子
  • 竹内真由美(忍の姉の子):藤丸由華
  • 竹内信夫(忍の姉の夫):林ゆたか
  • ミッキー・安田:岩城滉一
  • 柿沼女史:赤座美代子
  • 貿易会社中村支社長:高橋昌也
  • 梶山(バーテン):田中邦衛(友情出演)
  • エレナ:ベルニース・ド・ヤング
  • スペイン人の女老教師:エリサ・ワトキンス
  • 眼鏡CMディレクター:岸田森
  • ミニスクーターバイクCMディレクター:大林宣彦
  • 古美術商の主人:藤木悠
  • ローラ(赫い髪の少女):宮井えりな
  • スタイリスト事務所「オフィス・ジュリア」のスタッフ:千うらら
  • スタイリスト事務所「オフィス・ジュリア」の事務担当ミキ:香野なつみ
  • 山田(スペイン語学校の生徒):小林まさひろ

スタッフ[編集]

(作詞:尾関昌也、作曲:尾関裕司)※当時ホリプロ所属

ロケ地[編集]

併映作品[編集]

トラブルマン 笑うと殺すゾ

脚注[編集]

  1. ^ a b 全回史 2003, pp. 238–239
  2. ^ a b 「昭和54年」(80回史 2007, pp. 256–263)
  3. ^ a b 「1979年」(85回史 2012, pp. 372–380)
  4. ^ a b c d e 寺岡ユウジ「小谷承靖インタビュー 『海外の現場で学んだことがアイドル映画で役に立ちました』」『映画論叢』第27巻2011年7月15日発行、国書刊行会、119頁。 
  5. ^ 「山口百恵――ホワイト・ラブ」(なつかし2 1990, p. 142)

参考文献[編集]

  • 日高靖一ポスター提供・監修『なつかしの日本映画ポスターコレクション PART2』(永久保存)近代映画社、1990年2月。ASIN 4764816407ISBN 978-4764816404NCID BN10998788OCLC 673349931全国書誌番号:91026725 
  • 『キネマ旬報ベスト・テン全史 1946-2002』キネマ旬報社キネマ旬報ムック〉、2003年4月。ASIN 4873765951ISBN 978-4873765952NCID BA6189666XOCLC 674950055全国書誌番号:20539141 
  • 『キネマ旬報ベスト・テン80回全史 1924-2006』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2007年7月。ASIN 4873766567ISBN 978-4873766560NCID BA82662521OCLC 173601941全国書誌番号:21354875 
  • 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月。ASIN 4873767555ISBN 978-4873767550NCID BB09461400OCLC 802837991全国書誌番号:22150334 

外部リンク[編集]