ホテル・ロシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ホテル・ロシア(ロシア・ホテル、2004年)
クレムリンの側に威容を誇ったホテル・ロシア

ホテル・ロシア、または、ロシア・ホテルホテル「ロシア」Россия、 Rossiya Hotel )は、ロシアの首都モスクワにあったホテルニキータ・フルシチョフの命令で1964年から1968年にかけて建設された。床面積約4ヘクタール1993年アメリカラスベガスMGMグランドが出来るまでは、世界最大のホテルだった。その後もヨーロッパ最大の威容を誇った。客室数はリニューアルによる変動はあるものの3070から3200室を数えた。館内には、複数のレストラン(そのうち2つは一度に700席の客を収容可能であった)、カフェバーキオスク両替所郵便局ヘルスクラブナイトクラブサウナボウリング場プール映画館理容室、会議場があった。さらに極めつきが、2500席の国立中央コンサートホールである。

ホテル・ロシアは赤の広場に隣接しており、その21階の高さはクレムリンの壁と聖ワシリイ大聖堂のキューポラの上に迫る勢いであった。この地区はザリャージエ(Зарядье)と呼ばれ、モスクワの城壁内にある古くからの市街地で民家が密集していた。1947年スターリン・アンピール(スターリン建築)の超高層行政庁舎ビルを建てるために建物が一掃され、歴史的建造物も相当破壊された。「セブン・シスターズ」と呼ばれるスターリン様式の超高層ビルに「8番目の姉妹」として加わるはずだったこの行政庁舎は完成せず、基礎工事の途中のまま1960年代まで空き地のまま放置されていた。1964年から始まったホテル・ロシアの建設により、クレムリンの景観がホテルによって遮られるようになったことから、中心市街地の景観論争を巻き起こすこととなった。

1977年大規模な火災が発生し、ホテル側の公式的な見解では、死者42人、負傷者50人以上を数えた。[1]

ホテル・ロシアは、再開発のため、2006年1月1日営業を停止し、3月コンサートホールを除いて解体された。跡地には新たな娯楽複合施設が建設される。[2] [3]

新しい建築は英国の建築家ノーマン・フォスター卿の設計により、新たに2000室の客室を有するホテル、アパートと駐車場の計画を含む。この再開発はチェチェン人のオリガルヒでシベリア・エネルゴ社長、シャルヴァ・チギリンスキー(Shalva Chigirinsky)の手になるものである[4]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯55度45分05秒 東経37度37分44秒 / 北緯55.75139度 東経37.62889度 / 55.75139; 37.62889