ホイッグ党 (リベリア)

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リベリアホイッグ党真実のホイッグ党または真正ホイッグ党 (Liberian Whig Party or True Whig Party) は、リベリア政党である。1878年から1980年のクーデターまでの100年以上の間、同国の唯一の合法的政党だった。そのイデオロギーはアメリカホイッグ党の大きな影響を受けていた。

歴史[編集]

1869年、リベリア中央部海岸のクレイ・アシュランド市において結党。アメリカからの解放奴隷アメリコ・ライベリアン)のうち、黒人奴隷の子孫を支持基盤とし、結成当時は混血が支持基盤のリベリア共和党と対立したものの、1878年一党制を樹立。リベリア唯一の合法政党となる。これは、世界最初の一党独裁制国家であった。

ホイッグ党の政治は、アメリコ・ライベリアンのみに参政権を認め、内陸部の先住諸民族に軍を送って鎮圧、強制労働や米の強制拠出をさせ、人頭税を徴収し、弁務官を置いて統治するというものであった。1910年代には内陸部で大規模な反乱が起き、アメリカの支援を受けて鎮圧している。

近隣の植民地化が進むにつれて、フランスイギリスに対抗するために、ホイッグ党はアメリカとの連携を強めた。ファイアストーン社などの米国資本に農地を提供し、経済的にも文化的にもアメリカ依存は強まっていった。

1930年スペイン領フェルナンドポー島(現・赤道ギニアビオコ島)に先住民を船積みして事実上の奴隷貿易を行っていたことが発覚、チャールズ・D・B・キング大統領が辞任する。

1944年ウィリアム・タブマンが大統領に就任。タブマンは先住諸民族に譲歩し、強制労働や米の強制拠出を撤廃するなど圧制を緩和し、選挙権も先住民にはじめて与えられたものの、一党独裁は変わらなかった。1971年、タブマンの死によりウィリアム・R・トルバートが大統領に就任。さらに融和を進めたものの、教育を受けた豊かなアメリコ・ライベリアンが先住民を支配する構図は変わらず、先住民の不満は限界に達しつつあった。

1980年、先住民クラン族出身のサミュエル・ドウ曹長によるクーデターが勃発し、トルバートは殺害された。ドウは軍事政権を樹立して政府高官を大量に処刑、アメリコ・ライベリアンの影響力はこの事件で消滅し、ホイッグ党も禁止されることとなった。この後、ホイッグ党は多くの党員や支持者を失い、小政党の一つにすぎなくなった。2005年の選挙では、リベリア変革連合に参加した。