ペリリュー (強襲揚陸艦)

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ペリリュー(USS Peleliu ,LHA-5)
艦歴
発注
起工 1976年11月12日
進水 1978年11月25日
就役 1980年5月3日
その後 就役中(2011年現在)
母港 サンディエゴ
性能諸元
排水量 39,300トン
全長 833,34 ft (254m)
全幅 106.6 ft (32.5m)(船体)
132.2 ft (40.3m)(飛行甲板)
吃水 26,25 ft (8m)
機関 蒸気タービン 2基 2軸
最大速力 24 ノット
航続距離
乗員 士官82名、兵員882名
搭載機 AV-8B ハリアー II
AH-1W コブラ
CH-46 シーナイト
CH-53 シースタリオン
UH-1N ツインヒューイ
兵装 RIM-116 RAM21連装発射機 2基
Mk 38 25mm単装機関砲 4門
Mk 15 ファランクス 2基
M2 12.7mm重機関銃 5丁
Mk 45 5インチ単装砲 3基(新造時)
RIM-7 シースパロー8連装発射機 1基(新造時)
搭載艇 LCU上陸用舟艇 2隻
またはLCAC揚陸艇 1隻
輸送人員 海兵隊1個両用戦大隊(1,900名)
モットー Pax Per Potens
(Peace Through Power)

ペリリュー (USS PeleliuLHA-5) は、アメリカ海軍揚陸艦タラワ級強襲揚陸艦の5番艦。艦名は第二次世界大戦中にペリリュー島(現パラオペリリュー州)で行われたペリリューの戦いに因む。

艦歴[編集]

当初はケサン (Khe Sanh) 、続いてダナン (Da Nang) と命名される予定であったペリリューは1976年11月12日ミシシッピ州パスカグーラのインガルス造船で起工した。1978年11月25日アメリカ海軍作戦部長トーマス・B・ヘイワードの妻、ペギー・ヘイワードによって命名、進水し、1980年3月3日、T・P・スコット艦長の下で就役した。

就役後、ペリリューは直ちに南へ舵を取ってパナマ運河を抜け、5月27日赤道を通過した後、カリフォルニア州のロングビーチに配備された。なお、このペリリューは就役してから赤道を通過するまでの期間がアメリカ海軍艦艇の中でもっとも短い[1]

1991年6月、砂漠の嵐作戦の後ペルシャ湾からの帰還途中にペリリューはフィリピンピナトゥボ山の噴火から避難するスービック湾海軍基地の人員救助に参加した。この噴火は過去100年間で最大のものであり、広範な地域に火山灰が降り注ぎ、海軍基地の施設の多くが破壊された。避難者の中には産婦人科の患者が数名含まれていたため、多くの赤ん坊が艦内で誕生した。

1999年10月26日から11月27日まで、オーストラリア軍が主導する東ティモール国際軍の一部として、東ティモールの平和維持活動に配備された[2]

2001年11月は不朽の自由作戦の一環として最初の海兵隊部隊をアフガニスタンに送り届けた。

2004年1月1日、ペリリューは北アラビア海で一隻のダウ船を停船させ、翌2日に拿捕、15名の身柄を確保した。船からは2,800ポンド (1,300 kg) の大麻樹脂(末端価格およそ1,100万ドル)が押収された[3]

2011年現在、ペリリューはカリフォルニア州サンディエゴを母港として就役中である。

脚注[編集]

  1. ^ http://www.peleliu.navy.mil/history.asp (英文)
  2. ^ Stevens, David (2007). Strength Through Diversity: The combined naval role in Operation Stabilise. Working Papers. 20. Canberra: Sea Power Centre - Australia. p. 14. ISBN 978064296764. ISSN 1834-7231. http://www.navy.gov.au/w/images/Working_Paper_20.pdf 2010年9月6日閲覧。. 
  3. ^ Interrogation of Suspected al Qaeda Affiliates Lead U.S., Australian Navies to Seize More Drugs”. U.S. 5th Fleet Public Affairs (2004年1月2日). 2011年1月20日閲覧。

外部リンク[編集]