ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール

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ペドロ・ジュニオール Football pictogram.svg
名前
本名 ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール
愛称 ペドロ、PJ
ラテン文字 PEDRO JÚNIOR
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1987年1月29日(25歳)
出身地 パラー州
身長 182cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム ADサンカエターノ
ポジション FW
利き足 右足
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ペドロ・ジュニオールこと、ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール(Pedro Bispo Moreira Júnior、1987年1月29日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手ポジションフォワード

目次

[編集] 来歴

ブラジル中部にあるゴイアス州ヴィラ・ノヴァのユースチームで頭角を現わし、2004年に17歳でトップデビュー。ブラジルのユース代表選手にも選ばれる。当時ブラジル国内では、アレシャンドレ・パトらとともに期待の若手選手の一人として「ヤング5」に選出されるなど、将来が嘱望されていた[1]

2005年には名門グレミオがその才能に目をつけ、保有権の半分を買い取り、加入させるが大きな活躍はできなかった。2006年にはポルトガルの強豪クラブへの移籍を目指すが交渉が決裂。その後も中東のクラブとの交渉が報道されるが、移籍には至らず。翌2007年にはグレミオから選手トレードの形でクルゼイロレンタル移籍するが、FWのアラウージョロニーからポジションを奪えず、ここでも出番はなかった。

2007年4月にレンタル移籍したサンカエターノでチーム得点王になるなどの活躍が認められ、2007年8月にヴィラ・ノヴァからJ1リーグ大宮アルディージャへ完全移籍。J2降格の危機に瀕したクラブの得点力不足解消を期待されるも、思うように出場機会を得られなかった。

2008年は春季キャンプからポジションを得て、開幕戦でゴールを挙げるなど才能の片鱗を見せた。しかし、復調したデニス・マルケスとの2トップが機能せず、押し出される形でレギュラーから外され、負傷治療の名目でブラジルへ帰国する。その後、1年契約が満了した大宮は、再度契約を結びなおしてからシーズン終了まで古巣ヴィラ・ノヴァへレンタル移籍[2]させた。ヴィラ・ノヴァではチームの絶対的エースであるトゥーリオ・マラヴィーリャのサポート役として活躍した。

2009年はJ1リーグ・アルビレックス新潟へレンタル移籍[3]し、4-3-3システムの左FWを任され、リーグ戦21試合で10得点を挙げる活躍を見せた。

2009年8月、J1リーグ・ガンバ大阪へ完全移籍した[4]。ペドロの保有権を所有していた大宮から、新潟が保有権買い取りオプションを行使して一旦新潟へと完全移籍した後、新潟からG大阪へ完全移籍する形となった[1]。G大阪ではリーグ戦7試合に出場し、大宮戦と京都戦で計3ゴールを挙げる活躍を見せた。天皇杯では、3試合に出場し、流通経済大学とJ2サガン鳥栖相手に1ゴールずつ、計2ゴールを挙げていたが、新潟時代から痛めていた左ひざの治療の為に、天皇杯準決勝戦消化前の12月13日にブラジルに帰国した。

2010年3月20日、J1リーグ第3節・新潟戦では、負傷したルーカスに代わり途中出場したものの精彩を欠いたプレーから、後半34分に交代させられる。交代直後、激昂してベンチに向かって暴言を吐き、腕を突き上げるなどの挑発行為をした上で、着ていたユニフォームを地面に投げつけたのでサポーターからはブーイングを浴びた[5][6]3月24日にG大阪はペドロに対して直近の公式戦2試合の出場停止処分を科した[7]

3月26日には練習前のミーティングで選手とチームスタッフ、西野監督に対して謝罪をした[8]ものの、この一連の騒動がきっかけとなってG大阪の戦力構想から外れ、同年4月9日にブラジルのスポルチ・レシフェへレンタル移籍した。

2011年J2リーグFC東京にレンタル移籍。保有権は引き続きG大阪が持つ。4月30日のJ2リーグ第9節・コンサドーレ札幌戦で途中出場。この試合でFC東京での初出場とJ2デビューを果たしたが、その後抱えた怪我が治らず、同年6月17日にクラブより両者合意によるレンタル契約解除が発表され、FC東京を退団した[9]

2012年、ガンバ大阪から古巣のADサンカエターノに完全移籍で加入した。契約期間は2年間[10]

[編集] 人物・エピソード

  • 家族構成は妻。新潟時代の2009年7月下旬から8月上旬にかけてブラジルへ一時帰国し、現地で結婚式を挙げた。ペドロの年齢は22歳、ジェシカ夫人は17歳だった。
  • ユース代表の点取り屋として若くから期待されており、母国ブラジルでつけられたあだ名はペドロゴール(Pedro Gol)。
  • ピッチ外では無口で大人しい性格で、趣味はインターネットテレビゲームなどのインドア派。
  • 敬虔なクリスチャン(ブラジルでは少数派に当たるプロテスタント信者)として知られ、最も好きな言葉は「神は決して裏切らない」(Deus é Fiel)。
  • 大宮時代にペドロを獲得した当時の佐久間悟監督は「爆発力でいえばバレーフッキと同じぐらいのレベル」と評している。
  • 2009年11月8日のJ1リーグ第31節京都サンガF.C.戦で、ガンバ大阪のJリーグ通算1000ゴールを挙げている。通算999ゴールとなるこの試合での先制点もペドロの得点であった。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴
  • ブラジルの旗 Albatroz (アウバトロス) 下部組織
  • ブラジルの旗 ヴィラ・ノヴァFC 下部組織
プロ経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2003 ヴィラ・ノヴァ セリエB
2004 ヴィラ・ノヴァ セリエB
2005 ヴィラ・ノヴァ セリエB
グレミオ セリエB
2006 グレミオ セリエA 11 0
2007 クルゼイロ セリエA 0 0
サンカエターノ セリエB 10 5
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2007 大宮 33 J1 6 0 - 0 0 6 0
2008 大宮 13 J1 9 2 3 1 - 12 3
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2008 ヴィラ・ノヴァ セリエB
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2009 新潟 9 J1 21 10 3 0 - 24 10
G大阪 39 J1 7 3 - 3 2 10 5
2010 G大阪 11 J1 2 0 - - 2 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2010 スポルチ 33 セリエB
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2011 FC東京 17 J2 2 0 - - 2 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2012 サンカエターノ セリエB
通算 ブラジル セリエA 11 0
ブラジル セリエB
日本 J1 45 15 6 1 3 2 54 18
日本 J2 2 0 0 0 0 0 2 0
総通算
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2010 G大阪 11 1 0 -
通算 AFC 1 0 0 0

[編集] 経歴

[編集] タイトル

[編集] クラブ

グレミオ
ガンバ大阪

[編集] 代表歴

  • U-18ブラジル代表

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

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