ベラ・ダルヴィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ベラ・ダルヴィ
Bella Darvi
本名 Bayla Wegier
生年月日 1928年10月23日
没年月日 1971年9月11日(満42歳没)
出生地 ポーランドの旗 ポーランド ソスノヴィエツ
死没地 モナコの旗 モナコ モンテカルロ
民族 ユダヤ系ポーランド人
職業 女優
ジャンル 映画
活動期間 1954年 - 1971年
配偶者 Alban Cavalade (1950–1952)
Claude Rouas (1960–1961)

ベラ・ダルヴィ(Bella Darvi、1928年1926年生まれとも[2]10月23日1971年9月11日)は、ポーランド出身のユダヤ系で主にアメリカ合衆国フランスで活動した女優。ベラ・ダーヴィベラ・ダルビーなどとも表記される。5カ国語(フランス語英語ドイツ語イタリア語ポーランド語)を話すことができた[3]

略歴[編集]

ダルヴィはパン職人のChaym Wegierとその妻Chaya(旧姓Zygelbaum)との間にBayla Wegierとして生まれる。その後、家族でパリに移住し、そこで少女時代を過ごす[2]。3人の兄(または弟)Robert Wegier、Jacques Wegier、Jean-Isidoreと1人の姉(または妹)Suraがいる。Robertは強制収容所で亡くなっている。

第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるフランス占領に伴い、1943年にパリから逃れるが警察に逮捕されて投獄される。このときの辛い体験が彼女の生涯を通じてのトラウマとなる。戦後パリに戻ったダルヴィは、夜の街で出会った裕福な実業家Alban Cavalcadeと1950年10月7日に結婚すると、カジノに通うなど派手な生活を送るようになる。1951年に映画界の重鎮ダリル・F・ザナックとその妻ヴァージニアと知り合う。1952年にCavalcadeと離婚すると、彼女の美貌や生き方に魅了されていたザナック夫妻は彼女がギャンブルでこしらえた借金を返済し、彼女をザナック家に住まわせることにする[2]1953年8月にザナックと契約し、名前を「ベラ・ダルヴィ」に変える。「ダルヴィ(Darvi)」はザナックの名前「ダリル(DARryl)」と彼の妻の名前「ヴァージニア(VIrginia)」を組み合わせたものである[4]。その後、ザナックの愛人となるが、その一方でロバート・スタックブラッド・デクスターなど、他の男性たちとの交際が報じられる。

1954年サミュエル・フラー監督の映画『地獄と高潮』で、リチャード・ウィドマークの相手役でデビューするが、最もよく知られているのは『エジプト人』で演じたセクシーなバビロン高級娼婦ネフェル役であろう。この役は、愛人のザナックが金髪美女マリリン・モンローよりもダルヴィを選んだことで手に入れたものである。

妻と別れた(正式な離婚は1956年)ザナックはダルヴィを追ってフランスに行くが、1955年にダルヴィが両性愛者であると知ると彼女とも別れる[4](彼女はその後、男性だけでなく女性とも堂々と交際するようになる)。ザナックとの別れをきっかけに彼女の人生は暗転する。彼女は非常に裕福な男性たちと関係しながらも、その関係は長く続かず、ギャンブル癖を抑えることができなかった。ザナックは遅くとも1970年まで彼女の借金を返済していた。1960年11月13日にレストランのウェイターであるClaude Rouasとラスベガスで結婚するが、1年も経たずに婚姻が取り消される。

自殺[編集]

ダルヴィは何度か自殺未遂を犯した後にモンテカルロガス自殺する。彼女の遺体は死後1週間以上経ってから発見された[5]

主な出演作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Golden Globes, USA (1954)” (英語). IMDb. 2012年6月16日閲覧。
  2. ^ a b c Bella Darvi” (フランス語). Les Gens Du Cinema. 2012年6月16日閲覧。
  3. ^ Bella Darvi - Biography” (英語). IMDb. 2012年6月16日閲覧。
  4. ^ a b The Private Life and Times of Bella Darvi” (英語). Glamour Girls of the Silver Screen. 2009年1月10日閲覧。
  5. ^ Bella Darvi, Find a Grave, http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=10325980 2010年10月24日閲覧。 

外部リンク[編集]