ベヘール・デ・ラ・フロンテーラ

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'Vejer de la Frontera'

Flag of Vejer de la Frontera Spain.svg   Escudo de Vejer de la Frontera.svg

Vejer de la Frontera Sept2004.jpg
アンダルシア州
カディス県
面積 262.88km²
標高 201m
人口 12,991人(2008年)
人口密度 49.42人/km²
Vejer de la Frontera (Cádiz).PNG

北緯36度15分00秒 西経5度58分00秒 / 北緯36.25000度 西経5.96667度 / 36.25000; -5.96667

ベヘール・デ・ラ・フロンテーラ (Vejer de la Frontera) は、スペインアンダルシア州カディス県の都市。1857年までの市名は違う綴りのVeger、1857年から1877年までの市名は短くVejerであった。ジブラルタル海峡を見下ろす小高い丘の上にある。

歴史[編集]

市街を見下ろす場所にたつ黒衣の女性像。20世紀初頭に禁止されるまで、ベヘールの女性は黒いヴェールで前身を覆っていた

ベヘールには新石器時代から人が定住し、青銅器時代には既に要塞が築かれていた。ローマ以前にはベサロ (Besaro) と呼ばれており、現在も残る市壁の一部は紀元前7世紀からある。ローマ時代にはバエシッポ (Baesippo) と呼ばれていた。

711年、西ゴートロドリーゴを敗退させたターリク・イブン・ズィヤードes:Táriq ibn Ziyad)率いるイスラム軍が、バエシッポ周辺を征服した。

550年余り続いたイスラム支配時代、町はベシェル (Besher) と呼ばれた。彼らは、城の扉(11世紀)、市壁、通りに面した場所の格子窓といったイスラムの影響を物語る痕跡を残した。ベヘールは2度、キリスト教徒軍に征服された。最初は、カスティーリャフェルナンド3世時代の1250年で、後1264年6月にアラブ人が再征服した。1264年8月から2度目の戦いが始まり、1285年にキリスト教徒軍が勝利するまで続いた。戦いの後、ムデハルは町から追放された。

1285年、サンチョ4世はベヘールを封土としてサンティアゴ騎士団へ与えた。しかしこの命令で騎士団がベヘールを領有することはなく、ベヘールは王国に併合された。

1307年、イスラム教徒が去った後のベヘールにキリスト教徒の植民がされた後、アロンソ・ペレス・デ・グスマン(メディナ=シドニア公家の先祖)がベヘール領主となった。彼は既に1299年から、タリファを征服後ジブラルタル海峡一帯の領主となっており、王の代理人及び領主として、海峡の防御者となっていた。この領土はメディナ=シドニア公家の世襲となった。

15世紀から16世紀までベヘールはグスマン家を領主に持った。近代に入り、メディナ=シドニア公家に対抗したフアン・レリンケ・ア・ラ・カベサが自治体の支配権を握り、メディナ=シドニア公家が一帯に領有していた土地をアサス・デ・スエルテと改名した。

1976年、ベヘール・デ・ラ・フロンテーラはスペイン歴史保護遺産 (es:Conjunto Histórico-Artístico) に指定された。

経済[編集]

2008年8月、オリーブの聖母祭前日のベヘール

現在、農業と闘牛の飼育が行われている。また、市街の美しさと特異性のおかげで、自治体の観光客誘致目的で、住宅建設、商業の部門が十分に成長している。

行事[編集]

  • オリーブの聖母の廟への巡礼(5月7日) - ベヘール・デ・ラ・フロンテーラ最大のカトリックの祝祭。
  • ヴェールを被ったオリーブの聖母祭(8月10日) - 守護聖人である聖母を廟から出して礼拝行進を行う。

外部リンク[編集]