ベヒシュタイン
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | フランクフルト証券取引所上場
|
| 本社所在地 | ベルリン・Kantstr. 17 10623 |
| 設立 | 1853年10月1日 |
| 業種 | 製造 |
| 事業内容 | 楽器製造・販売 |
| 代表者 | Karl Schulze |
| 売上高 | 2,933万ユーロ |
| 従業員数 | 190名(2006年) |
| 外部リンク | ベヒシュタイン(日本語有) |
ベヒシュタイン(またはベッヒシュタイン、ドイツ語: C. Bechstein Pianofortefabrik AG)は、スタインウェイ、ベーゼンドルファーと並んで、世界3大ピアノメーカーに数えられるドイツのピアノ製造会社である。
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[編集] 沿革
1853年、カール・ベヒシュタインによってベルリンで創業。「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれる[1]ほどの名器で、第2次世界大戦前の日本においては最高のピアノの代名詞であった。ベヒシュタインについてフランツ・リストは「28年間貴社のピアノを弾き続けてきたが、ベヒシュタインはいつでも最高の楽器だった」、クロード・ドビュッシーは「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」と言う言葉を残している。 また、セシル・テイラー、チック・コリアなどジャズピアニストにも度々使用され、クラシック界に留まらず、その演奏性は高く評価されている。
しかし、創業からの長い年月の中で、度重なる苦難の歴史もあった。1929年、世界恐慌で打撃を受け、さらに第二次世界大戦で工場が破壊されるなどしたため、設計図やその他の重要な資料はもとより、熟練した職人などそのほとんどを喪失した。また、第二次大戦中ナチス・ドイツに協力したとして(ヒトラーはベヒシュタインを「第三帝国のピアノ」としていた)、戦後はドイツ人のナチズムからの脱却とともにその栄光の座から退いていくこととなった。
1962年、アメリカのボールドウィン社の傘下に入ったものの、1986年にドイツのピアノ製造マイスターであるカール・シュルツェが経営権を買い取り、念願であったドイツ人の手に経営権が戻された。その後は資本増強を積極的に行い、1997年には株式会社(C. Bechstein AG)となり、資本増強と東西ドイツ統一と共に、ツィンマーマン(またはツィンメルマン、Zimmermann, 1884年ライプツィヒで創業)とホフマン(W. Hoffmann, 1904年ベルリンで創業)のブランドを傘下に収め、ベヒシュタイングループを設立。現在に至っている。
[編集] 特色
響板が音色を作り出すという哲学のもと、頑丈な鉄骨フレーム、高いテンションの弦、総アグラフの採用などによって透明度の高い音色を実現していた。また音の立ち上がりが早いのもこのピアノの特色であり、音響効果の高いホールでの使用を念頭において設計されている。ただし大ホールにおける高音部の音量や持続に問題があったため、近年ではスタインウェイ、ベーゼンドルファーなど他社のピアノと同じく、高音部にカポダストロ・バーと呼ばれるフレームの一部を弦とじかに接触させたモデルも登場した。これにより中高音の音量を増大することはできたが、かつてのベヒシュタインの持つ純粋な音質が後退したと評するピアニストもいる。またフレーム自体もスタインウェイに酷似してきたこともあり、戦前のものと戦後のものとの評価は二分されている。
アップライトピアノに関しては、カール・ベヒシュタイン自身がアップライトからピアノの製造を始めたこともあって、現在も品質に対する評価は国際的にもトップクラスである。
[編集] コンクール
2006年、第1回ベヒシュタイン国際ピアノコンクールがドイツで開催された。
[編集] 脚注
- ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、2006年、181頁。
[編集] 外部リンク
- ベヒシュタイン
- ベヒシュタイン・ジャパン - ベヒシュタイン日本版サイト
- ユーロピアノ株式会社 - 日本の総輸入代理店
- ベヒシュタインの歩み - 日本語による詳細な年表