ベネチアンレース
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ベネチアンレース (Venezianlace)は15~16世紀のイタリア、ヴェネツィアを発祥として、ヨーロッパ各地に輸出されたレースの総称である。ヴェネツィアはニードルレース(needlelace)発祥の地であり、ボビンレース(bobbinlace)の発展にも歴史的な役割を果たしてきた[1]。ヴェネツィア商人の交易が、ヨーロッパ全土にレース文化を広めた。 この項では、ヴェネツィアにおけるレースの歴史について述べる。
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[編集] 歴史
カットワークは、1540年代までにヴェネツィアの刺繍師たちにより発明された刺繍レースである[1] 。高貴な人々の身を飾った最初のレースであり、ヘンリー8世 (イングランド王)の6番目の妃、キャサリン・パーの1545年の肖像画に描かれている[2]。
16世紀のベネツィアでは、布の刺繍からレティセラ(reticella)(ポアン・クペ)やニードルレースが、飾り紐からパスマン(passement)(ブレードを組んで作ったレース)やボビンレースが発展した[1]。
当初のベネチアンレースは、これらレティセラやパスマンであり、幾何学模様を特徴としていた。レティセラはニードルレースではなく刺繍レースであった。これらのレースはヴェネツィア商人により各地に輸出された[1]。
16世紀半ばには、多くのレースカタログがヴェネツィアで発行され、商人たちの手によりヨーロッパ各国に伝わり、各地の出版者により重版されていった。ヴェネツィアで流行したものは直ちにアントウェルペン、パリ、ロンドンに伝わっていった[1]。
イタリア生まれの二人のフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスとマリー・ド・メディシスがフランスにレース文化をもたらしたとされている。ヴェネツィア生まれのレースデザイン職人ヴィンチオッロもパリに住み着き、1587年デザインカタログを発表した[3]。
17世紀になり、初のニードルレースである、プント・イン・アリア(空中ステッチ)がヴェネツィアのレース女工の手により発明された[1] 。1620年頃から1650年頃にかけて作られ、最高クラスの技術と美しさをもっていたが、このレースがトップ・ファッションとして王族達の身を飾ることはなかった[4]。プント・イン・アリアの発展により、レースは幾何学模様から脱していった。
1640年頃、レースカタログは発行されなくなり、ベネチアンレースは最盛期をむかえた。全ヨーロッパの高貴な人々にとって、ベネチアンレースは、完成・完璧と同義とされた[5]。
ベネチアンレースで最も成功したのは、グロ・ポワン・ド・ヴニーズ(gros point de Venise)であり[6]、フランスを始め多くのレース産地で模倣された。1680年頃に考案された、ポワン・ド・ネージュ(point de neige)がヴェネツィアで考案された最後のニードルレースである[7]。(ボビンレースのポワン・ド・ネージュとは異なる)
ボビンレースでも、ニードルレースの手法が応用され、ニードルレースと見まごうばかりの美しいボビンレースは、1625~1650年にベネツィアで作成されたものである。
18世紀になると、ベネツィアのレースはロザリーヌ(rosaline)とよばれ、けばけばしい飾りをつけた集合体となった。かわりに他の地方の軽やかなレースがもてはやされるようになった[8]。 一方、ボビンレースでは模倣ロザリーヌが功緻な技法により成功した[8]。
19世紀になり、レース産業は衰退した。 19世紀後半、マルゲリータ (イタリア王妃)の後援の下に、ブラーノ(ベネツィア湾内の島)のレース生産が復活した。ブラーノレースはレティセラやニードルレースを摸倣し、もてはやされた[8]。1873年ブラーノのレース教習所がアンドリアーナ・マルチェッロ伯爵夫人の指導により開設された[9]。ボビンレースでは、ベネツィア地方のキオッジアでブラーノのニードルレースに似たレースを作成した[9]。
20世紀以降、イタリアのレース産地は、ボローニャ、ミラノ、ジェノバに座を譲ることとなった。
[編集] 種類
- ドロンワークレース
- 麻糸で布を織り、織り糸を引くことにより、立体感を出し模様つけた。
- プラトーレース
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- 生地を荒く間をあけて織り、四角い目を作り、刺繍で模様をつけた。
- フィレレース
- 魚網のように作成した、生地に刺繍で模様をつけた。
- カットワーク
- 生地をはさみで切り抜き、細かい刺繍を施すレースで、ニードルレースのもととなった。
- イギリスの王や女王の肖像画に描かれた最初のレースがこれであり、ヘンリー8世 (イングランド王)の6番目の妃、キャサリン・パーの1545年の肖像画に描かれている。
- レティセラレース (レティセラ)
- カットワークのレースであり、大変高価なレースであった。厳密には布地を芯にしたニードル・ポイントであり、ニードルレースには含まれないが、広義のニードル・ポイント・レースである。
- レースがヨーロッパの高貴な人達の身を飾るようになったのは、このレースからであり、1560年頃に出現し1615年頃にピークを迎え、1620年には肖像画から姿を消した。
- ニードルレース
- 生地なしで糸のみで作られたレース。プント・イン・アリアやグロ・ポワン・ド・ヴニーズが代表的である。各地に輸出され、模倣された。
- ニードルレースをニードルポイントレースと呼ぶ場合もあるが、厳密には生地に刺繍をしたレースもニードルポイントレースとよばれているため、1983年頃よりアンティーク・レースの専門家の間ではニードルレースと区別して呼ぶようになった[10]。
- ベネチアンボビンレース
- ボビンレースは組みひも(パスマン)を発祥とし、家庭で多く作られ、紐やブレード状の実用的なものであった。
- 16世紀のイタリアで装飾的なボビンレースが作られ始め、ボビンレースで初めてベネチアンボビンレースと名前がついた。16世紀のベネチアンボビンレースは、カットワークの模倣であり、18世紀の個性あるベネチアンボビンレース(模倣ロザリーヌ)とは区別されるものである。
[編集] 参考文献
- ブリュッセル王立博物館 『ヨーロッパのレース』株式会社学習研究社、1981年、ISBN 4050047764
- Anne Kraatz 訳:深井晃子 『レース 歴史とデザイン』株式会社平凡社、1989年、ISBN 4582620132
- 吉野真理 (レース蒐集家) 『アンティーク・レース』里文出版、1997年、ISBN 4898062695
[編集] 脚注欄
- ^ a b c d e f Anne Kraatz『レース 歴史とデザイン』訳:深井晃子株式会社平凡社、1989年、p.12
- ^ 吉野真理 『アンティーク・レース』里文出版、1997年、p.23
- ^ Anne Kraatz『レース 歴史とデザイン』訳:深井晃子株式会社平凡社、1989年、p.14
- ^ 吉野真理 『アンティーク・レース』里文出版、1997年、p.30
- ^ ブリュッセル王立博物館『ヨーロッパのレース』株式会社学習研究社、1981年、p.141
- ^ 吉野真理 『アンティーク・レース』里文出版、1997年、p.35
- ^ Anne Kraatz『レース 歴史とデザイン』訳:深井晃子株式会社平凡社、1989年、p.48
- ^ a b c Anne Kraatz『レース 歴史とデザイン』訳:深井晃子株式会社平凡社、1989年、p.141
- ^ a b Anne Kraatz『レース 歴史とデザイン』訳:深井晃子株式会社平凡社、1989年、p.130
- ^ 吉野真理 『アンティーク・レース』里文出版、1997年、p.29

