ベニー・カーター

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レーガンと

ベネット・レスター・"ベニー"・カーターBennett Lester "Benny" Carter1907年8月8日 - 2003年7月12日)は、アメリカ合衆国アルト・サックス奏者、クラリネット奏者、トランペット奏者、作曲家編曲家バンドリーダー

1930年代から1990年代ジャズにおける大物で、彼を「王(King)」と呼ぶジャズ・ミュージシャンもいた。

1958年モンタレイ・ジャズ・フェスティバルビリー・ホリデーと共演した。

NEA(国民芸術財団)は1986年のNEAジャズ・マスター賞でベニー・カーターに最高栄誉賞を授与した。[1] 1987年にはグラミー賞の生涯功労賞を受賞。 1994年に『Prelude to a Kiss』でグラミー賞とハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得した。[2] 2000年にはビル・クリントン大統領からNEAの国民芸術勲章を受勲した。[3][4]

生涯[編集]

1907年ニューヨーク生まれ。6人姉妹の末っ子で、長男だった。最初のピアノ・レッスンは母親からだった。だいたいは独学で、15歳のときにはハーレムのナイト・スポットで活動していた。1924年~1928年、ニューヨークのいくつかのトップバンドでプロとしての貴重な経験をした。

若いころはハーレムでデューク・エリントン楽団のスター・トランぺッタージェームズ・バッバー・マイリー 英語版の近所に住んでいた。カーターは彼に刺激されてトランペットを買ったが、彼のようには吹けないことを悟りサックスに乗り換えた。その後二年間コルネットのレックス・スチュワート英語版、クラリネットとソプラノ・サックスのシドニー・ベシェ、ピアノのアール・ハインズウィリー・ザ・ライオン・スミス英語版ファッツ・ウォーラー、James P. Johnson、デューク・エリントンなどのグループで活動した。

最初の録音[編集]

ニューヨーク市の アポロ・シアターにて。1946年撮影。

1928年にCharlie Johnson楽団で最初の録音。編曲も担当し、翌年自分のビッグバンドを結成。 1930年・1931年にはフレッチャー・ヘンダーソンと共演し、ヘンダーソンのチーフ・アレンジャーとなる。 その後短期間デトロイト出身のMcKinney's Cotton Pickersを率い、[5] 1932年にはニューヨークに戻ってチュー・ベリー英語版(テナー)、テディー・ウィルソン(ピアノ)、Sid Catlett (ドラムス)、Dicky Wells(トロンボーン)とビッグバンド活動をした。


カーターの編曲は洗練され、複雑巧緻で、『Blue Lou』を含む多数の曲が他のバンドによりスタンダード化した。 彼はデューク・エリントンのためにもこの頃編曲を行っている。 編曲能力はずば抜けており、中でも『Keep a Song in Your Soul』(フレッチャー・ヘンダーソン作曲1930)、サックスの流れるような編曲の『Lonesome Nights』『Symphony in Riffs』(1933)などが特筆される。[6]

1930年代初期にはジョニー・ホッジスとともに主要なアルト奏者と目された。彼はトランペットを再発見し、トランペット・ソロも取るようになった。1930年代にはトランペット演奏が多くなった。 カーターの名前が最初にレコードに記されたのは1932年、Crown labelからの『Tell All Your Day Dreams to Me』で、「Bennie Carter and his Harlemites」とクレジットされている。

短命に終わった楽団はニューヨークのハーレム・クラブで演奏し、一連のすばらしいレコードをコロムビア、OKeh、Vocalionに残した。OKehでの録音ではChocolate Dandiesの名前を使用している。 1933年10月録音のthe Chocolate Dandies 『Once Upon A Time』( OKeh 41568、続いてDecca 18255、Hot Record Society 16としてリイシューされた)でのトランペット・ソロは長い間ソロ演奏の金字塔とされた。

1933年、イギリスのバンドリーダースパイク・ヒューズ英語版との眩惑的なセッションを行っている。カーターのビッグバンドとのその18曲はイギリスでだけリリースされ、タイトルは『Spike Hughes and His Negro Orchestra』だった。14人から15人組のバンドにはHenry "Red" Allen (トランペット)、Dicky Wells (トロンボーン)、Wayman Carver(フルート)、コールマン・ホーキンス(サックス)、J.C. Higginbotham(トロンボーン)、チュー・ベリー(サックス)などがいた。[7]


これまでに残した曲『Nocturne』『Someone Stole Gabriel's Horn』『Pastorale』『Bugle Call Rag』『Arabesque』『Fanfare』『Sweet Sorrow Blues』『Music at Midnight』『Sweet Sue Just You』『Air in D Flat』『Donegal Cradle Song』『Firebird』『Music at Sunrise』『How Come You Do Me Like You Do』などがある。

ヨーロッパ[編集]

1935年ヨーロッパに移住。ウィリー・ルイス英語版楽団で演奏し、BBCダンス楽団のスタッフ編曲家となり、いくつかのレコードを作った。続く3年間、ヨーロッパ中をツアーし、イギリス・フランス・スカンジナビア地方の最高のジャズマンたち、友人のコールマン・ホーキンスのようにヨーロッパにやってきたアメリカ人スターたちと演奏し、録音した。

1937年のジャンゴ・ラインハルト、ホーキンスとの『Honeysuckle Rose』が最も有名で、後に1961年のアルバム『Further Definitions』でも同じ曲が演奏された。

ハーレムへの帰還、ロサンゼルスへの移住[編集]

1938年帰国。すぐに最高の楽団を作り1939年と1940年はハーレムの有名なSavoy Ballroomで演奏した。彼の編曲は大人気でベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、Lena Horne、グレン・ミラー、Gene Krupa、Tommy Dorseyなどが録音した。カーター自身にはビッグバンド時代は一曲しかヒットがなく、それは『Cow-Cow Boogie』というノベルティー・ソングで、Ella Mae Morseによってうたわれた。1930年代にカーターは『When Lights Are Low』『Blues in My Heart』『Lonesome Nights』などのスイング時代のクラシックを作編曲した。

1943年ロサンゼルスへ。スタジオ作業が増えた。『Stormy Weather』(1943)から始まり多くの映画、テレビ音楽を担当した。[8] ハリウッドで彼はビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン、Billy Eckstine、Pearl Bailey、レイ・チャールズ、Peggy Lee、Lou Rawls、ルイ・アームストロング、Freddie Slack、Mel Tormeなどの編曲を行った。

1945年、トランペットのマイルス・デイヴィスがサイドマンとしての初レコーディングを『Benny Carter and His Orchestra』というアルバムに行った。[9] カーターは黒人として初めて映画音楽を作曲した一人である。彼はクインシー・ジョーンズの師にして理想であり、1960年代にジョーンズがテレビ・映画の仕事を始めた時にはカーターを参考にしていた。

1960年、カルテットでオーストラリア訪問。 1968年Newport Jazz Festivalでディジー・ガレスピーと共演、同年スイスのバンドと録音。 1960年代のスタジオ録音にはPeggy Lee『Mink Jazz』 (1962)、シングル『I’m A Woman』がある。

教授活動[編集]

1969年にプリンストン大学の社会学教授Morroe Bergerに説得され、講義・セミナー・演奏会を行った。 続く9年間で5回プリンストンを訪れ、1973年には客員教授として一学期間務めた。 1974年にプリンストンは人文科学の名誉博士号を彼に贈った。 他の大学でもワークショップとセミナーを開き、1987年にはハーバード大学で一週間講義した。 Morroe Bergerは著書『Benny Carter - A Life in American Music』(1982)でカーターのキャリアを扱った。[10]

1989年晩夏、ニューヨークのLincoln Centerでカーターの82歳の誕生日が祝われ、Ernestine Anderson、Sylvia Symsが彼の歌を歌った。同じ週にChicago Jazz Festivalで、『Further Definitions』を再演した。 1990年二月、Lincoln CenterでElla Fitzgerald追悼として全員スターのビッグバンドを指揮した。カーターはNEAの顧問だった。1990年、Down Beat誌の「年間ベスト・ジャズ・アーティスト賞」と[11] Jazz Times Internationalの批評家賞を獲得した。 1978年にはBlack Filmmakers Hall of Fameに殿堂入りした。[12] [13]

1997年に現役引退。1998年にLincoln Centerから表彰され、Wynton Marsalis、ダイアナ・クラール、Bobby Shortが彼の音楽を演奏した。

カリフォルニア州ロサンゼルスのCedars-Sinai Hospitalで2003年7月に95歳で気管支炎の合併症で亡くなった。 1979年Hilma Ollila Aronsと結婚し、一人娘、孫娘が一人いる。[14]

作曲作品[編集]

他に "A Walkin' Thing", "My Kind Of Trouble Is You", "Easy Money", "Blue Star", "I Still Love Him So", "Green Wine" , "Malibu"等が存在する

受賞[編集]

the Downbeat Jazz Hall of Fame(1977)殿堂入り.

グラミー賞受賞[編集]

  • 受賞: 2[15]
  • ノミネート: 7
受賞歴
部門 タイトル ジャンル レーベル 結果
1963 Best Background Arrangement Busted (Ray Charles) R&B ライノ/ Wea ノミネート
1986 Best Jazz Instrumental Performance - Group Swing Reunion Jazz Musicmasters ノミネート
1987 Lifetime Achievement Award 受賞
1992 Best Large Jazz Ensemble Performance Harlem Renaissance Jazz Music Masters ノミネート
1993 Best Jazz Instrumental Solo "The More I See You" Jazz Telarc ノミネート
1994 Best Jazz Instrumental Solo "Prelude to a Kiss" Jazz Music Masters 受賞
1994 Best Jazz Instrumental Performance - Individual or Group Elegy in Blue Jazz Music Masters ノミネート

主なディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

発表年 作品名 アーティスト レーベル
1935 The Chocolate Dandies DRG
1945 Benny Carter and His Orchestra マイルス・デイヴィスが楽団員の一人。 Jazz Door
1954 Moonglow Verve
1957 Jazz Giant Contemporary
1959 The Fabulous Benny Carter Audio Lab
1961 en:Further Definitions Impulse!
1966 Additions to Further Definitions のちにFurther Definitionsとしてボーナストラックが収録されたうえでCD化された Impulse!
1976 The King Pablo
1976 Carter, Gillespie Inc. ディジー・ガレスピーとの共演 Pablo
1987 Central City Sketches Music Masters
1992 Harlem Renaissance Music Masters
1995 New York Nights Music Masters
1995 Songbook Music Masters
1997 Live and Well in Japan Pablo/OJC
1997 Tickle Toe Vee-Jay
2002 Sketches on Standards Past Perfect

編曲家として[編集]

発表年 作品名 アーティスト ジャンル レーベル
1963 The Explosive Side of Sarah Vaughan サラ・ヴォーン ジャズ ルーレット・レコード
1963 The Lonely Hours サラ・ヴォーン ジャズ ルーレット・レコード
1963 Mink Jazz ペギー・リー ジャズ キャピトル・レコード
1967 Portrait of Carmen カーメン・マクレエ ジャズ アトランティック・レコード
1968 30 by Ella エラ・フィッツジェラルド ジャズ キャピトル
1979 A Classy Pair エラ・フィッツジェラルド& Count Basie Orchestra ジャズ パブロ・レコード

コンピレーション[編集]

  • The Music Master: Benny Carter (Proper Box, 2004), 1930-1952 recordings [16]
  • Royal Garden Blues (Quadromania: Benny Carter) (Membran/Quadromania, 2006)

参照[編集]

外部リンク[編集]

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