ベトナムの歴史
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ベトナムの歴史(ベトナムのれきし、Lịch sử Việt Nam)では、ベトナムの多数民族であるキン人を中心としたベトナムの歴史について扱う。中世以前の南ベトナムについてはチャンパ王国に詳しく扱われている。
目次 |
[編集] 概略
[編集] 古代
- 文郎国(ヴァンラン国, Văn Lang) - 伝説上
- 安陽王(アン・ズオン王, An Dương Vương) - (? - 前208年):伝説上の国家とする考えが有力
- 北属期(中国秦王朝による支配) - (前214年 - 前207年)
- 南越国(ナムベト国, 趙朝, 趙氏南越国, Nam Việt, Triệu) - (前207年? - 前111年
[編集] 北属期
- 北属期(漢から唐までの中国王朝支配期) - (前111年 - 938年)
- ただし、以下に掲げる諸勢力は、中国王朝から一定の独立性を保ったか、或いは中国王朝に反乱を起して一定期間勢力を保ち、ベトナムの古典籍上で王朝或いはそれに類する特別な地位を認められたもの。現代ベトナムの歴史教育においては、これらのうち幾つかを独立王朝として扱うものもある。
[編集] 独立王朝時代
- 呉朝(ゴー朝, Nhà Ngô) - (938年 - 966年)
- 丁朝(ディン朝, Đinh) - (966年 - 979年)
- ベトナムの史書は、この丁朝以降を連続した独立王朝時代として扱う。
- 前黎朝(レー朝, Nhà Tiền Lê) - (979年 - 1010年)
[編集] 李朝(1009年 - 1225年)
詳細は李朝(リー朝, 李氏大越国, Nhà Lý)を参照
1009年、李公蘊によって李朝大越国が建てられ、ベトナムにおける長期的な統一政権が成立した。都はハノイに定められた。李朝は豪族の連合政権的な性格が強く、中国から諸制度の受容を図るが、中央集権的な統治体制を築き上げるまでには至らなかった。
[編集] 陳朝(1225年 - 1400年)
詳細は 陳朝(チャン朝, 陳氏大越国, Nhà Trần)を参照
1225年、陳氏によって李朝は滅ぼされ、陳朝大越国が成立した。13世紀後半にはモンゴルの侵攻を受けるが、陳興道らの活躍によって撃退した。陳朝の時代には、民族文字としてのチュノムが作られたほか、史書『大越史記』の編纂も行われた。
[編集] 黎朝(1428年 - 1527年)
詳細は 黎朝(レー朝, 黎氏大越国, Nhà Lê)を参照
ベトナムは一時明に服属していたが、黎利(黎太祖)によって独立が回復された。ベトナム南部にまで勢力を拡大して繁栄したが、のちに北部の鄭氏政権と南部の阮氏政権(広南王国)へと分裂した。
- 分裂期
[編集] 西山朝(1786年 - 1802年)
詳細は 西山朝(タイソン朝, 西山阮氏, 阮氏大越国, Nhà Tây Sơn)を参照
[編集] 阮朝(1802年 - 1945年)
詳細は 阮朝(グエン朝, 阮朝, 阮氏越南国, 阮氏大南, Nhà Nguyễn)を参照
[編集] 植民地時代
詳細はフランス領インドシナ連邦を参照
ベトナムの植民地化を図るフランスは、1883年の癸未条約(第一次フエ(ユエ)条約)・1884年の甲申条約(第二次フエ(ユエ)条約)によってベトナムを保護国化した。ベトナムへの宗主権を主張してこれを認めない清朝を清仏戦争で撃破し、1885年の天津条約で清の宗主権を否定した。1887年にはフランス領インドシナ連邦を成立させ、ベトナムはカンボジアとともに連邦に組み込まれ、フランスの植民地となった。阮朝は植民地支配下で存続していた。
20世紀初頭になると、知識人の主導で民族運動が高まった。ファン・ボイ・チャウは、日本へ留学生を送り出す東遊運動(ドンズー運動)を展開した。ロシア革命によってソヴィエト政権が成立すると、コミンテルンが結成され植民地解放を支援した。こうした中で、コミンテルンとの連携のもとでの民族運動が強まった。1930年にはインドシナ共産党が結成され、第二次世界大戦中のベトミン(ベトナム独立同盟)でもホー・チ・ミンのもとで共産党が主導的な役割を果たした。
[編集] 現代
- 南北分裂期
- ベトナム社会主義共和国(1976年 - )
[編集] 関連リンク
[編集] 外部リンク
- Viet-Nam(フランス語)
- Vietnam History(英語)
- フィールドワーク・ベトナム

