ベダリアテントウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ベダリアテントウ
Rodolia cardinalis.jpg
分類
: 動物界 Animalia
: 節足動物門 Arthropoda
: 昆虫綱 Insecta
: コウチュウ目(鞘翅目) Coleoptera
亜目 : カブトムシ亜目(多食亜目) Polyphaga
下目 : ヒラタムシ下目 Cucujiformia
上科 : ヒラタムシ上科 Cucujoidea
: テントウムシ科 Coccinellidae
亜科 : テントウムシ亜科 Coccinellinae
: ロドリア属 Rodolia
: R. Cardinalis
学名
Rodolia cardinalis Mulsant, 1850
和名
ベダリアテントウ
英名
Vedalia beetle
Vedalia ladybird

ベダリアテントウ(学名 Rodolia cardinalis Mulsant, 1850)は、テントウムシ科甲虫である。柑橘類を害するワタフキカイガラムシ天敵で、原産地のオーストラリアのほか全世界の柑橘類栽培地域に生息する。和名のベダリアは、英語の vedalia beetle、vedalia ladybird に由来する。

輸入と分布[編集]

一般の人にはナナホシテントウほど有名ではないが、ベダリアテントウは農作物の害虫に対する生物的防除の歴史ではとても有名なテントウムシである。19世紀後半のオーストラリアからアメリカへの導入が、この防除手段の一大画期になった。続く数十年のうちに世界中の柑橘類栽培地域に導入され、19世紀末に柑橘類栽培の最も恐ろしい災厄とみなされていた害虫を劇的かつ決定的に退治した。

現在ベダリアテントウはすべての大陸に広がっている。南北アメリカ(アメリカ合衆国中央アメリカカリブベネズエラからチリアルゼンチンまでの南アメリカ)、ヨーロッパ(イベリア半島フランスイタリアバルカン半島ロシア)、アジア(日本インドフィリピン台湾シベリア)、アフリカ(マグリブ南アフリカ)、オセアニア(ハワイグアム)と原産地のオーストラリアである。

外観[編集]

成虫は密生する短い毛で覆われ、赤紫色に黒い紋を配した2から4ミリメートルの半球の体を持つ。頭と腹部の尻の部分は黒い。よくある配色では、翅鞘の紋が黒くその数が5つある。うち4つは翅鞘の背面横にある。前の2つは楕円形か縫合を向いた半月に似た形で、後ろの2つはもっと不定形で2つの円がくっついたような形をしている。5つめは2つの翅鞘の中央を縦に長く伸び、前方で横長に広がる。

触覚は短くわずかに湾曲し、8つの節からなり、基部で顕著に広がる。脚には大きな広い脛節があり、不定形に平たく、付節を使わず体を支えられる。付節は3つの節からなる。

幼虫は5ミリメートルに達し、胸部に黒い紋を保つ赤い色をしている。背に剛毛を生やした一連の膨らみがある。蛹は4から5ミリメートルで赤色だが、腹部にあたる部分が時とともに暗い色になる。

生態[編集]

ベダリアテントウは基本的に単食性で、柑橘類につくワタフキカイガラムシだけを捕食する。場合により他の虫も捕らえるが、ワタフキカイガラムシ科の種に限られる。

気候の違いで世代数が変化する。暑い地方では年に8世代に達するが、イタリアでは5、6世代である。発生の周期は夏の間は短くなって20から25日程度である。成虫、幼虫、蛹で越冬するが、それができるのは冬が厳しくない地方だけで、寒い所では冬を越せない。繁殖力は高く、雌は複数回産卵し、1回に300から600の卵を産み、次回の産卵までの間は1か月かそれ以下である。成虫になるまでに4齢の幼虫と蛹を経過する。

幼虫も成虫もワタフキカイガラムシを猛烈に捕食し、その卵や幼虫も餌にする。餌が少ないときには共食いする。

ベダリアテントウの限界は、冬が寒い地方への適応困難にあり、そうした場所でワタフキカイガラムシがはびこる場合には春ごとに導入し直す必要がでてくることになる。その場合でも旺盛な増殖力により比較的短い期間でワタフキカイガラムシを抑制することができる。というのも、ワタフキカイガラムシの世代数は年2、3回に限られ、捕食者の半分にすぎないからである。ベダリアテントウの貪食と繁殖力が、防除の実行部隊役を果たすにあたって本質的要素となる。

人の利用[編集]

ワタフキカイガラムシの成虫を捕食するべダリアテントウ

ベダリアテントウの利用方法は、農業環境と気候によって異なる。現在は世界的に分布しており、ワタフキカイガラムシの被害地域にベダリアテントウがいない事態は次のいずれかに限られるはずである。

  • ワタフキカイガラムシの害を被る農産物を特定環境で最初に導入した場合。ワタフキカイガラムシは通常柑橘類を攻撃するが、イタリアではトベラ属エニシダ属(特にレダマ)にもよく付く。捕食者がいないこところにワタフキカイガラムシが最初に入ってくると、被害が容易に広がっていく。
  • 厳冬地帯。ベダリアテントウは冬の低温に適応していないので、そのような環境にさらされると越冬個体が死んでしまう。しかし冬の寒さに耐えられないのは柑橘類も同じなので、柑橘類が栽培されている地域にはベダリアテントウが見られるのが普通である。
  • 殺虫剤の無差別な使用による環境悪化。ワタフキカイガラムシの被害は広範囲の殺虫剤にさらされた柑橘類果樹園で頻繁に起きる。そうした方法はベダリアテントウの数を減らしてしまう。

歴史的にベダリアテントウは散布という方法で成功裏に利用されてきた。ひとたび適応に好ましい条件下で導入されれば、この甲虫はそのまま数が増え、再導入は必要ない。本種の増殖力がモデル通りに働いて、ワタフキカイガラムシの数を低く保つ。前述の三つのシナリオで言えば、散布法は第一のケースで活用できる。そして柑橘類について言えば、ワタフキカイガラムシの攻撃は果樹園内の孤立した木に対してだけ起きるはずである。第二の条件では接種法に頼り、ワタフキカイガラムシの繁殖期間ごとにベダリアテントウを放たなければならない。第三の状況での捕食者の接種は、低影響の技術による柑橘栽培再生の例を劇的・決定的な結果で示してくれるだろう。この場合、捕食者の接種は防護手段の全体的見直しの中で投入されるべきである。

放す数は、ワタフキカイガラムシの広がりの程度による。通常、低い密度で放しても、ベダリアテントウの繁殖力をもってすれば十分補える。孤立した樹木が被害を受けた場合には、短期間で害虫の数を許容範囲に押さえ込むのに雄雌3匹ずつで足りる。被害が拡散している場合には、被害の程度と地域的分断の程度により、放す数を調整する必要があるだろう。

特に重要なのは、ベダリアテントウを放す時期の選択である。捕食活動は特にカイガラムシの卵と幼虫に対してなされ、獲物の不足は必然的にベダリアテントウの繁殖力の低下をもたらし、共食いを増やす。放すのはワタフキカイガラムシの繁殖期に合わせるべきである。それは地中海地方では春の早い時期と、夏の終わりか秋の初めである。

歴史[編集]

アメリカに導入したライリー
(Charles Valentine Riley)

ベダリアテントウの歴史は、生物的防除と緊密に結びつけられている。古くから人は益となる生物の活動から利益を得ていることを多少とも自覚してきたが、自給自足的な体制にもとづく農業では、害虫の天敵が自然界と似た条件で働く性格を持っていた。19世紀になって、大陸間の交易が盛んになり、生産増加に向けた集約的農業が発達した結果、外来生物のもたらす被害が深刻になり、植物防疫の問題が重要と認められるようになってきた。重大な被害の中には、アイルランドに1845年から1846年ジャガイモ飢饉をもたらしたジャガイモ疫病菌 (Phytophthora infestans)、1863年にはじまり1890年までにヨーロッパの大部分のブドウ園に破滅をもたらしたブドウネアブラムシがある。

歴史的・社会的・経済的な見地からすると限定的なものではあったが、似たような事態が19世紀半ばのカリフォルニアにも起きた。この地域では柑橘類の集約的栽培が盛んで、一世紀以上前から世界的に有名な産地になっている。1868年、カリフォルニアの果樹園にオーストラリアからワタフキカイガラムシが偶然に入ってきた。天敵がいなかったため深刻な荒廃が急速に広がり、カリフォルニアの柑橘栽培は激減し、全廃のおそれさえ出てきた。

オーストラリアに派遣されたケーベレ
(Albert Koebele)

既に1864年、アメリカの外交官ジョージ・パーキンス・マーシュは、貿易によって侵入する有害生物がもたらす被害を憂慮して、可能な唯一の対処法は原産地から天敵を輸入することだという考えを著書で定式化していた。1886年に、アメリカ農務省昆虫局の長官チャールズ・バレンタイン・ライリーは、アルバート・ケーベレをワタフキカイガラムシの天敵を探し集める任務につけて派遣した。ケーベレはオーストラリア人のフレイザー・S. クロウフォードによってアデレードに招かれ、有用な可能性がある虫を多数集めて送った。送り出されたサンプル1000頭のうち半分はハエ目の寄生バエの一種 (Cryptochaetum iceryae) で、残る約500頭がベダリアテントウの成虫であった。アメリカではダニエル・ウィリアム・コキレットがベダリアテントウの大量養殖に没頭し、1万頭以上がただちにカリフォルニアの柑橘果樹園に放たれた。

イタリアに導入したベルレセ
(Antonio Berlese)

結果は驚くべきもので、昆虫学の学史では生物的防除の最大級の適用例として引かれる。ベダリアテントウは、部分的には同時に輸入された寄生ハエに助けられ、2年(1886年–1887年)でワタフキカイガラムシの個体数を許容可能なレベルに押さえ込み、全滅に瀕していた生産を回復させた。チャールズ・バレンタイン・ライリーが多くの人に近代的生物的防除の父とみなされるのは偶然ではない。この目覚ましい成功の影響で、半世紀以上にわたり、世界のあらゆる場所の侵入害虫に対して同じ方法が熱心に模倣されるようになった。とはいえ、いつもベダリアテントウのような目立った結果が得られたわけではない。

イタリアでは1900年に農園でワタフキカイガラムシが発見され、約1年後にアントニオ・ベルレセがベダリアテントウをイタリアに導入し、成功した。他の国でも同時かやや遅れてワタフキカイガラムシが見つかり、同様の対処が実施された。成果はカリフォルニアほど目覚ましくなかったが、それは被害の初期段階で対策が講じられたためとすべきである。

当時日本の植民地だった台湾には、1905年にワタフキカイガラムシが発見され、急速に分布を拡大した。日本の農商務省は1908年素木得一技師をアメリカに派遣し、1910年にベダリアテントウを導入した。日本では1908年にワタフキカイガラムシがアメリカからの輸入苗に付着して侵入したらしく、1911年年に日本の静岡県で被害が発生した。この年のうちに台湾からベダリアテントウを導入し、翌年から配布した[1]。両種はそのまま定着し、今に至るまでワタフキカイガラムシは対策の必要がない水準に抑えられている[2]

共通する基本的事実は、ベダリアテントウが適応した全地域でワタフキカイガラムシが完全に制圧され、多くの場合、報告を完全にするためか、歴史的重要性に触れるためという目的でだけ言及される二次的被害になっているということである。

脚注[編集]

  1. ^ 古橋嘉一「ベダリアテントウムシの導入から百年」33頁。古橋嘉一「ベダリアテントウ百周年を顧みて」4頁。
  2. ^ 古橋嘉一「ベダリアテントウ百周年を顧みて」5-6頁

参考文献[編集]

  • 古橋嘉一「ベダリアテントウムシの導入から百年」、『植物防疫』第64巻5号、2010年5月。
  • 古橋嘉一「ベダリアテントウ導入100周年を顧みて」、第15回農林害虫防除研究での講演、2010年7月14日。
  • Viggiani, Gennaro (1977). Lotta biologica ed integrata. Napoli: Liguori Editore. ISBN 88-207-0706-3. 
  • Servadei, Antonio; Zangheri, Sergio; Masutti, Luigi (1972). Entomologia generale ed applicata. Padova: CEDAM. 
  • Ferrari, Mario; Marcon, Elena; Menta, Andrea (1989). Lotta biologica. Controllo biologico ed integrato nella pratica fitoiatrica. Bologna: Edizioni Agricole. ISBN 99-206-3158-X.