ベアトリーチェ・デステ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ベアトリーチェ・デステ
ベアトリーチェとルドヴィーコの慰霊碑

ベアトリーチェ・デステ(Beatrice d'Este, 1475年6月29日 - 1497年1月2日)は、ミラノルドヴィーコ・スフォルツァの妃。イタリアルネッサンス期を代表する女性として知られている。フェラーラエルコレ1世・デステの娘で、イザベラ・デステの妹、アルフォンソ・デステの姉にあたる。

15歳で、バーリ公ルドヴィーコ・スフォルツァと婚約し、1491年1月に結婚した。ベアトリーチェとルドヴィーコの結婚と同時に、ベアトリーチェの弟アルフォンソとジャン・ガレアッツォ・スフォルツァの妹アンナとの結婚式も行われた。

彼女はきちんとした教育を受け、ニッコロ・ダ・ゴッレジョベルナルド・カスティリョーネドナト・ブラマンテレオナルド・ダ・ヴィンチジョヴァンニ・アントニオ・アマデーオといった学者・詩人・芸術家らを要するきらびやかな宮廷の中にいた。ダ・ヴィンチは結婚の祝いとして、彼女の肖像画を贈っている。1492年には、夫のため大使としてヴェネツィアへ赴いた。ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァが死ぬと、ルドヴィーコの公位継承をめぐりフォルノヴォの戦い(1495年)が起こるが、フランスシャルル8世と公の間にヴェルチェッリの和議が結ばれ、この出来事に貢献したベアトリーチェは政治的な才能を見せた。

1497年1月、第3子となる三男を死産したのち、死去した。

子女[編集]

  • マッシミリアーノ(1493年 - 1530年) ミラノ公(在位:1512年 - 1515年)
  • フランチェスコ2世(1495年 - 1535年) ミラノ公(在位:1521年 - 1535年)