ヘンリー・オブ・ウェールズ
| ヘンリー Prince Henry of Wales |
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|---|---|
| ウィンザー家 | |
| 続柄 | チャールズ王太子第2男子(エリザベス2世孫) |
| 称号 | ヘンリー・オブ・ウェールズ王子殿下 |
| 全名 | ヘンリー・チャールズ・アルバート・デイヴィッド[1][2] |
| 身位 | Prince(王子) |
| 敬称 | His Royal Highness(殿下) |
| 出生 | 1984年9月15日(27歳) |
| 父親 | チャールズ王太子 |
| 母親 | ダイアナ・スペンサー |
プリンス・ヘンリー・オブ・ウェールズ(Prince Henry of Wales, Henry Charles Albert David、1984年9月15日 - )は、イギリス王室成員、陸軍軍人。英語圏では通常公式の場・非公式の場を問わずPrince Harry(ハリー王子)という通称で呼ばれている。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
女王エリザベス2世の孫、チャールズ王太子とダイアナ妃の次男である。兄はケンブリッジ公ウィリアム。兄に次いで英国王位継承順位第3位にある。公式には His Royal Highness Prince Henry of Wales(ウェールズのヘンリー王子殿下)と称するが、英語圏では通常公式の場・非公式の場を問わずPrince Harry(ハリー王子)という通称で呼ばれている。
ハリーが誕生した1984年頃には既にダイアナとチャールズの仲は悪化していた。後にダイアナの愛人であると暴露された王室騎馬隊のジェームズ・ヒューイットとハリーの容姿が似ていたことから、ハリーの実の父親はチャールズではなくヒューイットであるとの主張がある。ダイアナとヒューイットは二人の性的関係が始まったのは1986年であるとしていた。2005年になりヒューイットは二人の関係は1982年には始まっていたと修正している。
イートン校を卒業した後、ヘンリーはオーストラリアの牧場で働いたり、レソトの孤児院で奉仕活動を行ったりした。その後アルゼンチンに渡ったが、飲酒と誘拐未遂を理由に帰国させられた。2005年にはサンドハースト王立陸軍士官学校に入学し、将来は近衛騎兵になりたいと語っていた。
[編集] 軍歴
2006年4月の陸軍士官学校卒業後に近衛騎兵連隊ブルーズ・アンド・ロイヤルズに配属された。同連隊は儀礼的任務だけでなく戦闘地域における任務にも投入されており、ヘンリーのイラク派遣も一旦決まったが、イスラーム過激派等がヘンリーを標的に攻撃すると予告したため取り止めとなった[3]。ヘンリーは特別な待遇を望んでおらず、「失望している」との声明を発表するとともに[4]、「軍を辞めるつもりはない」ともコメントしている。
2007年末からアフガニスタンにおけるタリバーン掃討作戦に極秘に加わっていた。ヘンリーは前線航空管制官としてタリバン部隊への爆撃を誘導する任務に就いており、これは相当の危険が伴うものであった。イギリスのメディアとは協定が結ばれ派遣の事実は公表されていなかったが、10週間後にアメリカのインターネットメディアのDrudge Reportが記事を載せたのをきっかけに大手メディアも報道を開始し[5]、帰国した。首相のゴードン・ブラウンはハリーを「模範的な兵士」であり「イギリス全土は彼の行っている素晴らしい任務を誇りに思うだろう」と称賛した。
[編集] 私生活
私生活では、ジンバブエ出身の恋人チェルシー・デービーと交際していたが、2007年11月10日、英紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』において王子とチェルシーの破局が報じられた[6]。
[編集] スキャンダル
| イギリス王室 |
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ヘンリー王子は、これまでの人生で数多くのスキャンダルを巻き起こしてきた。
11歳頃から酒や煙草に手を出し、イートン校時代に入学したばかりの14歳の時にはアルコール依存症を発病した。2002年の夏にはマリファナ吸引騒動を起こし、父チャールズの説得によって、麻薬中毒患者のセミナーに参加したこともあった。勉学には手を抜き、卒業ぎりぎりの最低ランクの成績だったという。そのため大学には進まず、軍隊に入ることを志願した。
なお、イートン校卒業試験については不正疑惑が持ち上がった。これはイートン校を解雇された美術教師が、王子が試験で提出した絵は自分が描いたとマスコミに暴露したものである。この疑惑を王子側は強く否定している。
2005年1月には、仮装パーティーにかつての敵国であるドイツのナチス時代の軍服で現われたところをタブロイド紙にスクープされ、内外のマスコミから非難された。父チャールズは、ヘンリーと兄ウィリアムに、ホロコーストを理解するため、映画「シンドラーのリスト」を鑑賞することと、アウシュビッツを訪問することを命じた。
また、士官学校卒業式後のパーティではストリッパーを膝に乗せ酒を飲む様子がスクープされ、映画の題名をもじった「ダーティー・ハリー」(ワルのハリー)の見出しが紙面に踊った。
2008年には泥酔しパパラッチと乱闘騒ぎを起こしたことがある[6]。
2009年1月、2006年のブルーズ・アンド・ロイヤルズ連隊所属時期に、同じ部隊のパキスタン人に対して「パキ」「ラグヘッド」と差別的発言をしていたことが発覚し、謝罪した[7]。
[編集] 脚注・出典
- ^ 姓は「マウントバッテン=ウィンザー」であるが王族であるためこれを通常使用することはなく、公式には父の称号からオブ・ウェールズを姓のように用いる。
- ^ “alt.talk.royalty FAQ: British royalty and nobility:”. Heraldica.org. 2011年4月15日閲覧。
- ^ AFPBB News (2007年4月28日). “イラク武装勢力、ヘンリー王子の誘拐を予告 - 英国”. 2008年11月17日閲覧。
- ^ AFPBB News (2008年3月2日). “アフガンから帰国のヘンリー王子、インタビューで心境を語る”. 2008年11月17日閲覧。
- ^ Prince Harry secretly serving in Afghanistan、ガーディアン、28 February 2008
- ^ a b ALL Abouto WEEKENDER (2008年1月30日). “『イギリス、イケメン王子の大恋愛に注目!』ナイト・ライフも満喫”. 2008年11月17日閲覧。
- ^ AFPBB News (2009年1月11日). “英ヘンリー王子、士官学校時代に差別語使用で謝罪”. 2009年1月22日閲覧。
[編集] 外部リンク
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| 上位: ウィリアム王子 ケンブリッジ公爵 |
イギリス王位継承順位 継承順位第 3 位 他の英連邦王国の王位継承権も同様 |
下位: アンドルー王子 ヨーク公爵 |