ヘンドリック・ハルデス

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ヘンドリック・ハルデス(Hendrik Hardes 1815年1月10日 - 1871年4月10日)は、幕末に来日したオランダ海軍の軍人で、日本最初の近代工場である長崎製鉄所の建設を監督した。

経歴[編集]

1815年1月10日オランダアムステルダムに生まれ、19歳でオランダ海軍に入った。長崎海軍伝習所総監の永井尚志は、オランダに大型船造修所の建設要員の派遣要請と機械類・資材の発注を行ったが、ハルデスはその要員に参加を申し出た。幕府は、オランダに蒸気軍艦2隻を発注していたが、その1隻目であるヤーパン号(咸臨丸)が完成すると、ハルデスはそれに乗船し、1857年9月22日安政4年8月5日)に長崎に到着した。ハルデスは、海軍伝習所の対岸にあたる浦上村淵字飽の浦の9040坪の土地を建設用地とし、10月10日旧暦8月23日)に建設が始められ、1861年5月4日文久元年3月25日)に長崎製鉄所が完成した。完成4日後の5月8日旧暦3月29日)に、帰国の途についた。

ハルデスは、製鉄所の建物に使うために、職人を指導して、日本で初めての建物用煉瓦を作製している(建物用以外では、反射炉用の耐火煉瓦が国産化されていた)。焼成温度が高くできなかったため、この煉瓦の厚さは4 cm程度と、現在の普通煉瓦に比べて薄く、コンニャクに似ていたため「コンニャク煉瓦」、またはハルデスの名前をとって「ハルデス煉瓦」と呼ばれた。明治初期の洋風建物がこのハルデス煉瓦で建てられている他、ながさき出島道路オランダ坂トンネル出口直下の壁が、復刻されたハルデス煉瓦で作製されている。

参考文献[編集]

関連項目[編集]